介護のことだけでなく
様々な出来事があって
見切り発進的に離職しました
以前の記事にも書きましたが
あの頃、未来が見えたとして
両親の看取りを終えて
預貯金をすべて使い果たすことが
わかっていても
やはり、私は離職することを
選ぶんじゃないかと思います
親の最期に向きあう時間には
悲しく辛いことがたくさんありました
肉体を手放し魂が光に還る前のひとときには
愛とかゆるしとか
その他にも言葉では言い尽くせない何かがあって
それらを
この手でふれ
この目にやきつけ
この心に刻む
そんなことができる時間でもあるのです
母の逝去に伴い
介護の必要な家族はいなくなったので
家にいる大義名分もなくなりました
なので、
社会復帰しますよね
しなきゃだめですよね
でも、
私は、しませんでした
できませんでした
母の四十九日を済ませてから
私自身の病気の手術のため
入院したり自宅療養したりが
ありましたが
その後も、私は
社会復帰(お勤めを再開することですね)
しませんでした
母の闘病中
キーパーソンは私だったので
母のそばには、いつも私が
くっついていたんです
診察・検査・治療
いつも、私は母と一緒でした
待てない・じっとできない父は
いつも留守番で
ちょっと蚊帳の外扱いだったかもしれません
(自業自得なところも多分にあるんですけれどね)
でもね
自業自得とは言え、母の闘病中
お留守番の多かった父は
寂しかったんじゃないかなって
思ったんです
母が亡くなったことで
私が勤めにでるということは
当時、まだまだ元気ではあったけれど
十分高齢者になっちた父は
母のいなくなった家に
誰もいない家に
日中、一人ぼっち
母の闘病中から
ずっと一人ぼっち
もしかしたら
父はそんなの平気で
もしかしたら望んでいたのかも
しれないけれど
私には、できなかったのです
父を一人にすることが
私は、もともと
父のことを尊敬していて
父のことが大好きな
パパっ子ではありません
外からはわからないだろうけれど
いろんな確執もあり
憎んだこともあって
私と父の間には
わだかまりと言う高く分厚い壁と
深い溝がありました
でもね
母亡き後の父は
かつての傲慢で無神経な
頑固おやじではなく
昔強かった老いた人なのです
父は、
「勤めに行かないで家にいてほしい」
なんて、一言も言いませんでした
私が自分で感じて考えて
決めたことです
私の療養後は
時々、車でドライブがてら
ランチを食べに行ったりもしました
すごーいごちそうって
わけではないのに
父は、とっても喜んで
美味しい美味しいって
とっても喜んで
優しい笑顔で食後のコーヒーを
味わっていました
父とこんな時間を
持つことができて
本当に良かったと思っています
ただ、この時間は長くは続かず
父は、母が亡くなって
半年後くらいに
転倒して骨折して
歩けなくなってしまいました
今度は、父の介護です