主体性は「自分の基準」を持つところから始まる(どん底から成功に導く、その他大勢から抜け出させる起業家コンサル・杉本幸雄)
──自由が丘の高台から、駒沢オリンピック公園へ歩きながら朝4時の自由が丘は、まだ半分だけ目を覚ましている。 高台の住まいを出て、ゆるやかな坂を下り、緑道を駒沢オリンピック公園へ向かって歩く。 空気は澄んでいて、風は控えめで、街は静かだ。 この静けさの中で歩くと、いつも自分の人生の「基準」が、そっと輪郭を取り戻していく。
わたくし杉本幸雄は、人生の目的をひとつに定めている。
「強くて優しい人になること。 そして、強くて優しい人を増やすこと。」
強いとは、
どんな外部環境からの悪影響も受けず、 自分のペースと自分のルールを守り抜くこと。
優しいとは、
人を認め、許し、想いやること。 その両方を持つ人が増えれば、日本の社会は生きやすくなるはず。
この目的は、わたくしの行動基準であり、判断基準であり、境界線そのものです。
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どん底の底から、30年かけて這い上がった幼少期からのどん底人生は、静かで長い影のように続いた。 陰キャ歴は50年以上。 人前に出ることが苦手で、集団に馴染めず、 「自分は社会の端っこにいる人間なのだ」と思い込んでいました。
だが、人生は不思議なもので、 底の底まで落ちると、逆に「自分の基準」を持たざるを得なくなるんです。
誰も助けてくれないなら、 自分で考え、自分で決め、自分で実行するしかない。
そして、その結果を自分で引き受けるしかない。
これが、わたくしが30年かけて身につけた主体性。
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主体性とは、
自分の基準を持つこと
主体性とは、 「自分で考えて、自分で決めて、自分で実行し、結果を自分で引き受ける」
この一連の流れが揃った状態。
だが、
その前提として必要なのは、 自分の基準を持つことが必要だと、小5の時に、おぼろげながら気が付いたんです。
誰でも、
何歳でも、
他人の基準で生きている限り、 主体性は育たない。
他人の言葉に流され、他人のペースに飲みこまれ、 他人の価値観に支配され続ける人生が連続するばかりです。
自分の基準とは、 「人生目的に沿っているかどうか」という一点に尽きるでしょう。
例えば、
わたくしなら
・強くて優しい人になるための行動か。
・強くて優しい人を増やすための判断か。
それだけを静かに確認する。
この基準があるから、 わたくしはどんな外部環境にも飲まれず、 マイペースとマイルールを守り続けられる。
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20年の法人経営、2万回のコンサル指導、110億円の売上加算自由が丘の高台から駒沢公園へ向かう道を歩きながら、 ふと、20年の法人経営の重みを思い返すことがある。2万回のコンサル指導セッション。 累計110億円の売上加算。 商業出版6冊。 16年間の毎日ブログ。
そして、ここ5年間は 静かな人のための成功法則を研究、実践しています。
これらは、派手な挑戦ではありません。
だが、
主体性という一本の軸を守り続けた結果として、 静かに積み上がったものなんです。
主体性は、努力を継続させる。
継続は、成果を積み上げる。
積み上げは、人生を変える。
そして、
強くなれ、優しくもなれます。
この順番は、いつも変わらない。
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境界線は「マイルール」で守る主体性を守るためには、境界線が必要です。
境界線とは、
自分を守るためのマイルールだ。
・朝の静かな時間を奪われないこと
・考える時間を確保すること
・他人のペースに合わせないこと
・自分の目的に沿わない発注は断ること
・心が濁る、モヤモヤする人間関係から距離を置くこと
これらは、
わたくしにとっての「静かな盾」だ。
盾があるから、強さが保たれる。
強さがあるから、優しさが発揮できる。
優しさだけでは、世界に流される。
強さだけでは、世界を傷つける。
その両方を持つために、
境界線は欠かせない。
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駒沢オリンピック公園の緑の中で公園に着くと、木々の葉が風に揺れている。
ジョギングする人、ベンチで本を読む人、ゆったり話し込む人々。
それぞれが、
それぞれの
ペースで生きている。
主体性とは、
「自分のマイペースで、自分が生きると決めている覚悟」 でもある。
他人のペースを尊重しながら、 自分のマイペースを守る。
そのバランスが取れたとき、 人は強くなり、優しくなる。
わたくしは今日も、 人生目的に沿って歩いているかどうかを静かに確認しながら、 公園の緑の中をゆっくりと歩く。
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本日の結論
主体性は、 「自分の基準」を持つところから始まる。人生目的という基準があるから、 判断がぶれない。 行動が迷わない。 境界線が守られる。 強さと優しさが両立する。そして、 強くて優しい人が増えていく。自由が丘の高台から駒沢公園へ向かう静かな散歩道で、 わたくしは今日もその基準を確かめながら、 自分の人生を歩いている。


