人生はそもそも苦しい
──四苦を抱えて50年間以上歩んだ、杉本幸雄の静かな実感
「人生は苦しい。」
これは仏教の基本的な理解であり、スリランカ仏教の長老・スマナサーラさんが繰り返し説いること。
そして、陰キャとして50年間以上生きてきた、わたくし自身の体験とも、驚くほど一致しています。
四苦──生きることに組み込まれた苦しみ
仏教では、人生の苦しみを「四苦」として整理しています。
- 生老病死(しょうろうびょうし)
生まれる苦しみ
老いる苦しみ
病む苦しみ
死ぬ苦しみ
これらは、誰も避けられない。
いくら努力しても、才能があっても、人格が優れていても、必ず訪れる苦しみ。
わたくしは、
起業家コンサルタントとして20年以上、静かに仕事を続けてきたが、
この四苦は、人生のどの段階でも姿を変えて現れ、続けています。
■ 生の苦
生きているだけで、刺激が多すぎる。
人混み、大声、雑談、陽キャのテンション。 そして何よりも幼少からのどん底体験。空腹、体調不良、虐待。
わたくしには、それらがすべて「生きる苦しみ」だった。そして、陰キャになった。
■ 老の苦
年齢を重ねるほど、体力も集中力も変化する。
「昨日できたことが今日できない」
その事実を受け入れるのは、静かだが確かな苦しみである。
■ 病の苦
体調が崩れると、思考も鈍る。 心に余裕もなくなる。優しさもなくなる。
仕事の質が落ちる。
「自分はまだやれるはずだ」という執着が、さらに苦しみを増やす。
■ 死の苦
自分の死だけでなく、
人の死、関係の終わり、役割の終わり。
「終わり」は常に人生の影に潜んでいる。
四苦は、人生の構造そのものだ。
避けることはできない。
四苦を否定すると、人生はもっと苦しくなる
「苦しみを否定すると、苦しみは倍になる」。
わたくしも同じことを痛感してきた。
「もっと楽しく生きられるはずだ」
「苦しみは自分だけだ」
「努力すれば苦しみは消えるはずだ」
こうした“幻想”を抱くほど、現実とのギャップが心を削る。
陰キャとして50年生きてきた、わたくしは、
「苦しみを避けようとする行為そのものが苦しみを増やす」
という事実を、何度も味わってきました。
四苦を前提にすると、人生は静かに軽くなる
四苦を「人生のスペック、含有物」だとして受け入れると、
人生は驚くほど軽くなる。
- 生きるのは苦しい
- 老いるのは苦しい
- 病むのは苦しい
- 死ぬのは苦しい
この“当たり前”を前提にすると、
余計な期待が消え、判断がシンプルになる。
コンサル指導でも同じだ。
クライアントの悩みの多くは、
「悩みは苦しいもの」そして、
「苦しみはあってはいけない」という前提から生まれる。
苦しみを前提にすると、
戦略は研ぎ澄まされ、
選択は軽くなり、
人生は静かに整う。
四苦の中で、私が選んだ人生目的
わたくしは長年、
「余裕がある、強くて優しい人になる、そういう人たちを増やす」
という人生目的を掲げている。
強さとは、苦しみを否定しない力。
優しさとは、苦しみを抱えた他者を理解する姿勢。
派手さ、華やかさ、スポットライトが当たるようなことはない。
陽キャのような賑やかさもない。
ただ、四苦と共に静かに歩いてきた経験がある。
その経験を、
ブログで、
TikTokで、
コンサル指導セッションで、
商業出版で、
淡々と伝えていくことが、わたくしの役割だと思っている。
50年の陰キャ人生が教えてくれた結論
最後に、
わたくしの人生から得た
一つの結論を述べます。
人生は四苦に満ちている。
しかし、四苦を素材にすると、人は静かに強くなる。
苦しみを避けるのではなく、
苦しみを観察し、
苦しみを言語化し、
苦しみを扱えるようになると、
人生は安定し、静かに深まる。
スマナサーラ長老の教えは、私の人生と重なる。
そして、陰キャとして50年生きてきた私の実感とも一致する。
人生はそもそも苦しい。
だからこそ、今日も静かに歩く。


