七夕の日、わたしが短冊に書く願いごとは、毎年まったく同じです。
「世界中の人々が満腹でありますように。」
これ以上でも、これ以下でもない。
たった一行の、子どもみたいな願いです。
けれど、
わたしはこの願いを、毎年、変えることができません。
■満腹なら、人はしあわせになる
人は、お腹が満ちているだけで、悪いことを考えなくなる。
これは、わたしの実感です。
満腹は、思考をやわらかくし、心を静かにし、他者への敵意を薄める。
「満腹」というのは、ただの生理現象ではなく、精神の土台そのものです。
世界では、
肥満から起因して命を落とす人が毎日いる一方で、
同じ地球の上で、貧困で空腹、栄養失調で命を落とす人も毎日います。
この残酷な非対称は、数字で見るとさらに鮮明になります。
しかし、数字よりも、わたしの胸に刺さるのは「空腹が奪うもの」です。
■幼少期、わたしは毎日空腹だった
わたしは、幼少の頃、毎日空腹でした。
「お腹がすいている」というのは、ただの状態ではありません。
空腹は、プライドを奪います。
空腹は、自尊心を奪います。
空腹は、「自分は価値のある人間だ」という感覚を、静かに侵食していきます。
空腹の子どもは、
怒りっぽくなるか、黙り込むかのどちらかです。
わたしは、いつも黙っていました。
声を出す気力はなく、
ただ、静かに、過ごしました。
お腹がこれ以上空くと困るからでした。
でも、誰のことも恨みませんでした。
「満腹であること」は、当たり前ではないんですよ。
わたしにとっては、ずっと、憧れの状態でした。
ご飯をお替りしたことは、
これまでの人生で、数えるばかりです。
■だから、七夕の日の願いは変わらない
大人になって、起業家になって、
本を出し、コンサルティングをし、
たくさんの人と出会い、たくさんの人の人生に触れてきました。
それでも、七夕の日に短冊へ書く願いは、毎年同じです。
「世界中の人々が満腹でありますように。」
満腹なら、人はしあわせになる。
満腹なら、人は他者を傷つけない。
満腹なら、人は未来を考えられる。
わたしは、空腹が奪うものを知っている。
だからこそ、満腹が与えるものを信じています。
■空腹は「思考」を奪い、満腹は「未来」を返す
空腹の人は、未来を考えられません。
今日を生きることで精一杯だからです。
満腹の人は、未来を考えられます。
余白が生まれるからです。
わたしが「しあわせ度を上げるコンサルティング」を続けている理由は、
人の人生に余白を取り戻す手伝いがしたいからです。
余白があれば、
人は自分を取り戻し、
他者を思いやり、
未来を描ける。
その最初の一歩は、実はとてもシンプルで、
「満腹であること」なのです。
■わたしの願いは、世界のどこかの誰かの胃袋へ届くだろうか
七夕の短冊は、風に揺れながら、空へ昇っていきます。
わたしの願いは、どこかの国の、どこかの街の、
名前も知らない誰かの胃袋へ届くだろうか。
届かなくてもいい。
それでも、願い続けることに意味がある。
空腹の痛みを知っている人間は、
満腹の尊さを知っている。
わたしは、今年も短冊に書きます。
「世界中の人々が満腹でありますように。」
それが、わたしの原点であり、
わたしが、経営コンサル業を通じて、人々の「しあわせ度」を上げたいと願う理由のすべてです。
