孤高の時間が、陰キャ起業家の言葉を磨く


たとえば、早朝の4時というのは、まだ出逢えていない人々との世界には、まだ自分の存在に気づいていない時間だ。  

街の輪郭はぼんやりしていて、空気はどこか透明な膜のように静か。  


わたくしは、この時間帯が好きである。  
いや、好きというより、そこに身を置くことで他人との境界線がハッキリと見える、そんな感じに近いのが、この時間帯。

わたくしは自由が丘の杉本幸雄(すぎもとゆきお)。  
ひとり、経営コンサルタントとして20年以上を過ごしてきた。  
いわゆる陰キャ気質で、群れることが嫌いだ。  

雑談は、
すること自体、無意味だし、声の大きい人たち、手を叩いて笑うようなテンションに合わせると、体だけでなく、心のどこかがきしむように疲れてしまう。  

だから、
ひとりでいる時間は、自分にとって「寂しさ」ではなく、絶対に必要な「呼吸」のようなものだ。


孤高の時間というのは、たぶん誰にでも平等に与えられているはず。  
ただ、
それを自分で選んで、拾い上げるかどうかは、その人の才能のようなものに左右される。  

例えば
わたくしの場合、その才能はずいぶん早い段階から発揮された。  
幼少の頃から、何せ、ひとりぼっちを選んで、公園の隅や神社のお堂の裏にいることのほうが、みんなといるより、遥かに落ち着いたし、  

大人になってからも、
ひとりで考えごとや物思いにふけっているときのほうが、世界が落ち着いて静かに安らいでいてくれている。


起業してからも、
この才能は全然変わらなかった。 
 
むしろ、ひとりで考える時間が、仕事を優位に導く言葉を磨く砥石のような役割を果たすようになった。  


言葉というのは、
誰かに向けて発するときに初めて実態になるものだけれど、  
その前段階で、わたくしの場合、必ず「無言で孤独な時間」が必要になる。  

無言の中で、
余計な言葉、不適切な表現はゆっくりと沈殿し、底に落ちて、ふるいに掛けられていく。  
残ったものだけが、ほんとうに伝えるべき言葉、ということになる。


陰キャ起業家というのは、
世間的には少し風変わりに見えるだろうし、聞こえる。  
でも、
わたくしは、この肩書きを気に入っている。  

なぜなら、
ひとりでいる時間を恐れない人間は、  
自分の言葉を、
自分の速度で
磨くことができるから。  


陽キャ社会の
誰かの声にかき消されることも、流行の波に押し流されることもない。  

ただ、
静かに、淡々と、着実に
自分の内側と会話を続ける。

もちろん、
孤高の時間はときに重く、厳しく感じられることもある。  
冬の朝のように、指先がかじかむような孤独が押し寄せることも多々ある。
  
でも、
その冷たさの中でしか見えない景色がある。  
たとえば、心の奥に沈んでいた小さな嘘やごまかしとか、  
ずっと言語化していなかった願いのようなものとか。  
そういうものは、静けさの中でしか浮かび上がってこない。言語化できない。


わたくしは毎朝、4時には起きて、
一時間だけ思考の時間を取っている。  

それはもう習慣というより、生活の骨格のようなものだ。  
この時間に磨かれた言葉が、自分の仕事を支え、  

顧問クライアントの起業家や経営者たちの背中をそっと押すこともある。  
言葉は、孤独の中でこそ澄んでいく。  
そして澄んだ言葉は、誰かの心に静かに届く。

孤高の時間は、決して特別なものではない。  
ただ、そこに耳を澄ませるかどうかだけだ。  
陰キャ起業家の言葉が磨かれるのは、  
その静けさを、ひとつの「居場所」として受け入れたときなのだと想う。

世界が
まだ眠っている時間に、  
わたくしは今日も、ひとりで言葉を磨く。  

これは、誰からも強いられていないし、圧を感じているからでもない、  

わたくしはわたくし自身のための、着実な小さな習慣のようなものだ。