【ぼっち起業家】「経営者は孤独」というフレーズにピンと来なかった理由
わたくしは杉本幸雄(すぎもとゆきお)。
自由が丘の駅から少し離れた高台で、ひっそりとコンサルティングの仕事をしている。
20年以上、ひとりで会社を回してきた。
派手なプレゼンも、賑やかな会食も、ほとんど縁がない。
午前中の静かな散歩と、布団の中で考えごとをしながら積み上げる仕事だけが、長い間、自分を支えてきた。
そんなわたくしが、どうにも腑に落ちなかった言葉がある。
「経営者は孤独だ」
よくある決まり文句だ。
飲み会の席か、ビジネス書の帯か、SNSのどこかで誰かが言ったのだろう。
その言葉は、どこか湿っていて、芝居がかっていた。
三文役者の台詞みたいに、わざとらしい。
だから、ずっとピンと来なかった。
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「孤独は、起業してから始まったわけじゃない」
孤独って、そんなに特別なものだっただろうか。
そんなにドラマチックに語るほどのものだっただろうか。
わたくしは子どもの頃から、だいたい一人だった。
朝の通学路で誰かと並んで歩くより、空の色をぼんやり眺めている方が落ち着いた。
放課後に教室や運動場に残ることもなかった。
用が済めば、すぐに学校から離れた。
学生時代も、労働者時代も、
何か問題が起きれば、自分で考えて、自分で処理することを、自分で引き受けた。 お母さんやお父さんに頼ることはなかった。
誰かに相談するという発想そのものが、わたくしの中には存在しなかった。
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小学生のわたくしと、印鑑登録の話
例えば、小学校6年生の頃のことだ。
進学する中学校に、印鑑登録証明書を提出する必要があった。
もちろん、そんなものが何なのか、まったく知らなかった。
近所の本屋の国語辞典で調べても理解できず、
仕方なく、書店のオーナーの奥さんに尋ねた。
そこでようやく、市役所に行けばいいらしいと分かった。
さらに調べると、印鑑を買って、印鑑登録を済ませて、
それから証明書をもらうという手順らしい。
わたくしはアルバイトで稼いだ、なけなしの500円で印鑑を買った。
親のいない小学生には痛い出費だったが、将来のためだと自分に言い聞かせた。
意気揚々と市役所に行き、申請書に必要事項を書き込み、
窓口に提出すると、係の人たちが奥のほうでざわつき始めた。
嫌な予感がした。
わたくしは昔から、嫌な予感だけはよく当たる。
案の定、16歳を過ぎないと印鑑登録はできないと言われた。
落胆した。絶望に近かった。
何に絶望したかといえば、500円がまるごとムダになったことだ。
この「印鑑登録印鑑事件」は、わたくしの人生に大きな教訓を残した。
ルールは、お金や努力を投じる前に知っておかないと、ムダになる。
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社会から弾き飛ばされる感覚
拒絶される時の孤独感は、いつも、当たりが強い。
アルバイトの不採用、アパートの入居審査落ち、大学の履修希望落ち、
クレジットカードの審査落ち……
わたくしは、これまでかなりの審査に落ちてきた。
その度に、社会から弾き飛ばされるような孤独感を味わった。
夏休み、お正月、誕生日、入学式、
普段の日曜日や夕飯時でさえ、
クラスメイトのほとんどが楽しい時間を過ごしている頃、
わたくしは着実に孤独を積み重ねていた。
だから、何でも自分一人で対処する習慣がついた。
学校に出す書類は、いつも自分で書いた。
誰かに相談すれば説明が必要になる。
説明すれば、余計にややこしくなる。
だったら最初から一人でやった方がいい。
そういう乾いた合理性だけで、生き抜いてきた。
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起業しても、孤独は変わらなかった
そんな自分が起業して経営者になった時、
「孤独になる覚悟はありますか」と言われても、
正直、何を言っているのか分からなかった。仕方がない。
覚悟も何も、最初からそうだった。
孤独は“変化”ではなく、“継続”だった。
むしろ、孤独感は子どもの頃より優しくなった。
同じ立場の経営者が、世の中に何百万人もいるからだ。
孤独は、もう自分だけのものではなかった。
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孤独は、弱さではなく、スペックのようなもの
経営者になってからの方が、孤独は軽くなった。
責任は増えたが、孤独の質は変わらなかった。
誰にも頼らず、誰にも期待せず、
淡々とやるべきことをやる。
それだけだ。
孤独は、わたくしにとって不足ではなく、
ある種の充足だった。
世の中は孤独を“マイナス”として扱いたがる。
でも、わたくしにとって孤独は、静かで、透明で、邪魔がない。
誰かの感情に振り回されることもないし、
誰かの期待に応える必要もない。
孤独は、わたくしのOSみたいなものだ。
最初からインストールされていて、アンインストールもできない。
そのおかげで判断は早いし、仕事も進む。
ただし、進み方は驚くほど遅い。
ミリ単位だ。
でも、その遅さが、わたくしにはちょうどいい。
だから「経営者は孤独」という言葉に、
いまだにドラマも悲哀も感じない。
あるとしたら、それは演技に過ぎない。
孤独は、わたくしにとって突然の“変更”ではなく、
ずっと変わらない“前提”なのだ。
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最後に
孤独を恐れる人は多い。
でも、孤独に慣れた人間は、
静かに、淡々と、長く生き残る。
孤独は、わたくしを壊さなかった。
むしろ、エネルギー源になってきた。
いや、ただの変えられない前提条件だっただけだ。
わたくしは明日も、
自由が丘の空気を吸い込みながら、
ひとりで歩く。
その静けさが、わたくしを支えている。
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