人を信用するかは、2年目以降がお勧めです


朝の自由が丘というのは、どういうわけか、街全体が「深呼吸の途中」にいるような気配をまとっています。

パン屋さんの前を通ると、焼きたての香りがまだ空気の端に引っかかっていて、コーヒー豆を挽く音が、遠くの踏切のリズムとゆっくり混ざり合っていく。そんな時間帯に歩いていると、世界は案外、急がなくても回っていく、焦るのはそれほど意味がないのだと、誰に言われるでもなく想起するのです。

わたくしは、杉本幸雄(すぎもとゆきお)と申します。
経営コンサルタント業の会社を20年間以上、ひとりで続けています。陰キャ向け・ぼっち向きな本を商業出版で、6タイトル出しております。

「明るいね、笑顔が素敵ですね」と言われたことは、一度もありません。


毎朝の
読書と、静かなコーヒーの時間を人と関わるよりも、こよなく愛しています。人と関わるときは、少し距離を置くほうが落ち着く性分で、初対面の人と急に仲良くなることは、絶対にありません。

というより、
そういうスピード感のある関係は、わたくしは、誰にでもお勧めいたしません。

たとえば、
わたくしが誰かを信用するまでには、最低でも2年はかかります。2年というのは、長いようでいて、関係の「地層」を確かめるには、最低限必要な時間です。

雨の日の相手の態度、忙しい時期の返事の仕方、沈黙をどう扱うか。また、その人の10年来の友人がどんな人なのかも、チェック対象です。

そういう細部が、ゆっくりと積み重なって、ようやく「この人は大丈夫だ」と思える。今、わたくしの周りにいる少人数の友人たちは、ほとんどが10年以上の付き合いです。例外は、ほぼありません。


こういう話をすると、
「距離を置くなんて冷たい」、「長い時間をかけると、チャンスを逃すのでは!」と言われることがあります。

でも、
わたくしはむしろ逆だと思っています。距離を置くというのは、相手を突き放す行為ではなく、自分を守りながら、相手も大切にするための思いやり戦略です。

たとえるなら、熱すぎるコーヒーを少し冷ましてから口に運ぶようなものです。温度も分からずに、焦って飲めば舌を火傷するし、相手の味わいを正しく感じることもできない。適切な温度になるまで待つことは、むしろ敬意のひとつです。


人間関係も同じで、
距離があるからこそ、相手の輪郭が見える。近づきすぎると、相手の影と自分の影が混ざってしまい、どちらがどちらの感情なのか分からなくなる。わたくしは、そういう混線、誤認、誤解を避けたいのです。自分の感情を守るためでもあり、相手の自由や価値を尊重するためでもあります。

自由が丘の朝の空気は、
そんな考えを静かに肯定してくれます。コーヒーを片手に歩いている住民わ、見ていると、街の人々がそれぞれのペースで動いているのがわかる。急ぐ人は急ぎ、立ち止まる人は立ち止まる。誰も他人の速度を奪わない。それぞれのペースを自分自身で選んでいる。

わたくしは、こういう街の呼吸が好きです。

関係というのは、急いで作るものではなく、育てるものです。月日をかけて、少しずつ、互いの沈黙に慣れていく。相手の価値観や習慣、間合いを、観察しながら理解していく。そうしてようやく、敬意のある関係が生まれる。わたくしは、そんな関係をこれからも大切にしていきたいと思っています。

距離を置くことは、
冷たさではありません。


むしろ、関係を長く続けるための、静かな知恵なのです。自分のマイペースを守りながら、相手のマイペースも尊重する。

その間に流れる時間こそが、信頼の土台になるのだと、自由が丘の朝はいつも教えてくれえいます。