陰キャは“深さ”で勝つ、陽キャは即レスで生きる



はい、
わたくし、陰キャに誇りしかない、ぼっち起業家の杉本幸雄と申します。  
20年ほど前に経営コンサルタントとして法人を立ち上げ、  
以来ずっと、ひとりで静かに、そして、マイルール&マイペースで生きてまいりました。

そもそも、わたくしが生きている目的と、  
ビジネスをしている目的はまったく同じでございます。  
それは、日本に“強くて優しい人”を増やすこと。  
なんだか大それたことを言っているようですが、  
これでも本気なのです。

そのために、まずは皆さまにコンサル指導によって【お金持ち】になっていただいております。  
なぜなら、お金というのは不思議なもので、  
余裕が出てくると、急に人は優しくなる。  
昨日まで許せなかったことが、  
「あら、まあいいじゃないの」と笑って済ませられるようになる。  
強さも優しさも、結局は“余裕”から生まれるのです。

これまで、1万人の起業家・経営者・起業家予備軍を見てきました。  
コンサル指導は2万回。  
売り上げ加算は110億円。  
数字だけ見ると、ずいぶん派手に聞こえるかもしれませんが、  
実際は地味な積み重ねの連続でございます。  
陰キャは派手に騒ぎません。  
ただ、静かに結果だけを置いていくのです。

本も、商業出版で6冊目を出したところです。  
こちらも、わたくしのような“ぼっち気質”の人間が、  
どうやって世の中を渡っていくかという、  
ちょっとした生存戦略のようなものを書いております。


わたくしは、
これまでの50年間以上の人生で、
「明るいね」
「笑顔が素敵ですね」
「上手に話されますね」
と、
言われたことは、一度もありません。


陰キャは“深さ”で勝つ、陽キャは即レスで生きる

たいていのことは、すぐに返事をしなくても、実際上の損失は生じない。もちろん、生命が危険になることもない。  
だけど、
この国の今の雰囲気では「即レス」がひとつの徳のように扱われている。
  
まるで、返事の速さが人間の価値を測るモノサシみたいに。

わたくしは、そういう世界に少しだけ違和感を覚える。 距離を置いてきた。
返事が速いというのは、たしかに返事を受け取る側にとっては、一見便利だ。  
でも、便利さと、適切さ、さらに言えば深さは、たいていの場合、同じ場所には住んでいない。

陽キャの人たちは、軽やかに世界を跳ね回る。  
通知が鳴れば、反射する。  
まるで、夏の海辺で飛び跳ねる小さな魚みたいに。  
彼らはそれを「コミュ力」と誤解し、社会はそれを「適応力」と呼ぶ。  
これは、そういうやり方が好きな人同士の間では、ひとつの生き方だと思う。

けれども、
陰キャのわたくし達にはそうはいかない。  
返事をする前に、いくつかの思考、つまり沈黙の時間を必要とする。  
この沈黙は、思考の時間で暗闇ではなく、深海のようなものだ。  
光は少ないけれど、静かで、濃密で、れっきとして、時計は進んでいる。

わたくし達は、この沈黙を悪いものだと思ったことがない。  
むしろ、このゆったりとした沈黙があるからこそ、世界の輪郭がはっきり見えることがある。  
即レスの世界では見落とされるものが、陰キャの深さではゆっくりと浮かび上がってくる。

たとえば、誰かの言葉の裏にある小さな揺らぎ。 行間の本音。
あるいは、場の空気に混じった微細な温度差。  
そういうものを感じ取るには、少しの沈黙が必要。  

思考がいる。  
沈黙がいる。


陽キャはスピードで生きる。  
陰キャは深さで生きる。  
これは優劣ではなく、ただの構造の違い。  
だけど、深さを持つ人間は、スピードの世界ではしばしば「のろま、遅い」と評価される。  
まるで、音も立てず静止している深海魚が、大空を翔びまわる鳥に「なぜ、飛ばないのか」と言われるように。

飛べないけれど、深海魚は深海魚で、そこでしか見えない景色を見ている。
  
陽キャが即レスで世界をつなぎ合わせるなら、陰キャは沈黙と思考で社会を紡ぐ。

どちらも世界を生きる方法だ。  
ただ、陰キャが出力するのには、少しだけ時間がかかる。

でも、時間がかかるからこそ、そこに“深さ”が生まれる。  
深さは、速さとは同居しない。  
深さは、沈黙の思考の中でしか育たない。

わたくしは50年間以上、一貫して陰キャで生きて来て確信している。  
陰キャが勝つとしたら、それはスピードの勝負ではない。  
深さの勝負だ。 精緻の世界だ。

深さと精緻は、誰にも奪われないし、真似もできない。  
思考の結果は、その人の人生の堆積物みたいなものだからだ。

陽キャが即レスで世界を軽やかに渡っていくなら、  
陰キャは深さで世界をゆっくりと掘り下げる。  

どちらが正しいという話ではない。  
ただ、深さで生きる人間には、深さでしか辿り着けない場所がある。

そして、その場所は、たいてい静かで、やさしくて、  
どこか遠い海の底や深い森のように、ひっそりと美しい。