【アットホーム】は大嫌い!by陰キャ・ぼっち


はい、110億円売った

ぼっち起業家の杉本幸雄です。

もちろん、陰キャです。


わたくしは、「アットホーム」に嫌悪感を覚えます。


「うちの会社は、アットホームです」、このフレーズは、

ルールで運用せず、感情的に統治している

・いい加減な会社です

と言っているようなものじゃないですか?


アットホームは、

自分にとって都合が良い状態なら最高ですが、自分に合わなければ、【地獄】になりかねません。



【アットホーム】は、

大嫌い!by陰キャ・ぼっち


アットホームには、

一見、居心地が良さそういという雰囲気の裏に、ある見えない「空気感」がどうしても漂っております。



場を和ませ、融和させるための「アットホーム」は、場のオーナーやリーダー、そして彼らを信奉する者にとっては救いになります。


しかしながら、

一人が好き、マイペースを大切にしたい、ぼっちや陰キャには、圧迫や居場所の剥奪になるのが、アットホーム。



今日は、

「アットホーム」の攻撃性について、執筆したいと想います。なぜ、アットホームは、ぼっちや陰キャに圧がかかるをのか、さらに、この痛みを和らげる現実的な対処法についてまとめてみました。




問題提起


- 一見、柔和な言葉が排除を生む  

  →「アットホーム」には、リーダーが主導する暗黙のルールや同調圧力を内包することがあります。

雑談の頻度や物理的な近さ、冗談の共有といった非言語的な参加基準が空気感で設定され、この傘下に参加したくない者は「場を乱す異質」と判断されやすい。



- 陰キャ・ぼっちの立ち位置  

  →自然に溶け込めない者は《参加しない=秩序を乱す存在》というラベリングを受け、結果として希望の共有や発言機会が減らされ、異質感と孤立が固定化される。




なぜそうなるのか(原因分析)


- 同調を価値とする文化  

  →「朗らか=仲の良さ」のインスタント思考が働き、表面的な親密さが優先される。

他者との深い尊重よりも手っ取り早く朗らかな関係になることが評価される場では、ゆっくり関係を築くタイプが切り捨てられる。


- 受容性の違い  

  →コミュケーションのやり方は本来、多様だが、アットホームな場は特定のシグナル(即レス、大声、身振り)を正解や正義として扱われ、黙っていたり、無反応、観察などのやり方は無価値と誤解される。


- 運営側の無理解

  →環境をリードする者が表面的に「和む、朗らか」だけを目指すと、参加者状態の多様性を切り捨て、結果として排他的な場になる。




影響(個人とコミュニティ)


- 個人レベル

自尊感情の低下、情報格差、モチベーションの減退。そして離脱していく。


- 組織レベル

多様な意見が喪失し、創造性と問題解決力が低下してしまう。見かけ上の「仲良し」は、やらされているお遊戯会のようになってしまう。

そしては、衰退する。




ぼっち・陰キャの場の貢献法


   - 雑談で盛り上がれない代わりに、資料作成や観察メモ、フォローアップを丁寧に行う。

また、参加時間を制限する。例えば「今日は30分間で」など、自分の参加ルールを相手や周囲に伝える離脱しやすい。  


   - マイペースを徹底する

他者に依存せず、自分のマイペースを守り抜く。



まとめ


「アットホーム」は

誰にとっても心地よい魔法の言葉ではありません。


ぼっちや陰キャにとっては、圧を感じ、傷つけられる刃物になり得ます。


陰キャやぼっちは「直すべき個性」ではなく、大切な個人の価値観ですし、尊厳です。


ぼっちや陰キャは、小さな戦術で自分の安全と価値を守り、場のリーダーはいろんな人がいることを認め、多様な雰囲気を許す。


表面的な「みんな仲良し」を強制しない。