2/5(日) パシフィコ横浜にて最後の橋本奈々未生誕祭が終わりました
 
私は2011年から乃木坂46 橋本奈々未を推し続け、2017年まで計5回生誕に関って来ました
 
生誕委員会を立ち上げた2011年の頃は、今のような華やかなセレモニーなどは無く、ただお祝いしたい有志が集まって握手会で賑やかすものでした
乃木坂のCDデビューが2/22だったので、デビュー記念で回ったイオンモール新潟南でひそやかに生誕連番をしたのが最初でした
当時はしっかり見たいファンが50人くらい、遠巻きに見てる通行人が50人くらいと今では想像も出来ない位閑散とした握手会でしたね
いい思い出です
 
今のような生誕セレモニーをするようになってきたのは、2013年に入ってからのような気がしています
でも、橋本奈々未2回目の生誕セレモニー日にはレーン装飾はまだ行って居ませんでした
2013年のセレモニーはちょっと変わったことをやってて、3人合同セレモニーというものをやりました(キモイ握手トークは無視してください)
あと、生誕委員で鍵閉め連番も初めてやりました
この辺から連番鍵閉め、セレモニーが標準化してきたと思います
 
さて、最近入った方々はなぜ橋本生誕が「赤」に拘っているのか謎だと思います
今、ななみんの推しカラーは「緑」となっていますが、これの根拠は2012/10/05の「(´_ゝ`) 橋本質問返しシリーズの始まり|乃木坂46 橋本奈々未 公式ブログ」内の
Q.ライブで使ってほしいサイリウムの色は?
└乃木坂は紫って感じだけど
 いろんな色で溢れてるのも綺麗だなと思う♪
 私は緑がすきかな~☆
 
これ始まりでしょう
 
しかしこれより先に我々は2011年度にななみんの口から「好きな色は赤」と言われ、それを元に彼女が大好きなバスケット、その漫画の金字塔「SLAM DUNK」をリスペクトしたTシャツを作ったところに由来しています
それ以来、我々は赤にこだわり、時にはななみん本人のBlogで「攻撃的な赤は嫌いかな」って書かれてもめげずに赤を生誕カラーにしてきました
 
そして、生誕委員会というよりは「橋本奈々未応援団」という位置づけで基本活動を行ってきました
なので、我々は横断幕より先に応援団旗を作っています
そして、年を重ねる事にその年の思い出をペナントに記録して行きました
そんな応援団旗ももう掲げる事はありません
 
橋本生誕は彼女の性格とも相まって、目指していたものは「シンプルイズベスト」でした
レーン装飾にしてもセレモニーにしても、それを年頭にでも貧相な物に見えないように、毎年頭をひねって来ました
セレモニーは、時にはななみん本人が逃げだしたり、運営さんから「毎年楽しみにしてる」とのお言葉を貰ったり、毎年シンプルながら楽しいものを行えたと思います
 
また、橋本生誕は「生誕」ではなく「応援団」なので通年ずっと活動をしていたのも特徴だったような気がします
ななみんにとって嬉しい事、つらい事があった時このグループで迅速に動けたので、色々なお祝いとか出来ました(肉の生食禁止になる直前に、「まだ行ける生レバー店一覧」を贈って喜ばれたりとかw)
 
そんな活動もあと少しで終了です
 
最後に、当日橋本レーンに来られなかった方のためにレーンの写真を上げます
そして会場出口付近に飾ったお花と横断幕
 
以上をもって私の乃木坂46のメンバー生誕委員としてのセレモニー活動は終了しました
 
橋本奈々未、永島聖羅を合わせて9回の生誕、2回の卒業
他生誕の細かいお手伝い数回
どれも貴重な経験でしたし、すばらしい仲間に出会えました
 
もし、今後少しでも生誕に興味があるファンの方が居たら、どこのメンバー生誕委員もすばらしい方々ですので、少しの勇気を持って声を掛けてみてください
そして、一緒に活動してみて下さい
 
そうすると乃木坂メンバーへの思いが、ちょっとだけ濃くなると思います
現場に来るのが楽しくもなりますよ
 
これが5年間、生誕委員をした老兵が感じたことです
 
相変わらずまとまり無いなw