アメーバピグの政治広場で、「人種差別はよくない」という主張には根本的な正当性や根拠が一切存在しない、という当たり前のことを話していた。

すると、やはりというか当然ながら、凡庸な人間たちが「誰にでもわかること」「常識でしょ」と反発してきた。

そうじゃねえだろ。

まず、物事を主張するなら根拠をつけろ。
全ての主張にだ。
ある程度原理的に妥当すると推察される部分から初めて、演繹を繰り返し、その結果として主張を展開しろ。例えばこの場合、「人間各個人は、自らが所属する比較的小規模な共同体が存続・発展することを要求する」といった程度に合理的で原理的な判断から演繹して、「人種差別はよくない」を導いてみろ。
それすらできないものには、何の価値もない。

「マスコミが言っていた」「新聞に載っていた」「みんなが言っている」――こんなものは何の根拠にもなりはしないのだ。
むしろそれらは、多数決的デタラメをばらまく装置でしかない。

我々は多数決の暴力に屈しない。
おれは東京大学教養学部で、学生諸君に、「人種差別はよくない、とか、ペドフィリアは悪い、なんてのは単なるイデオロギーでしかないから、信じてはいけない。万一信じるなら、根拠をしっかり考えなさい」と教えた。
東京大学の学生だから、そんなことは当然だ、という顔をしていた。もしおれが根拠もなく「人種差別はよくない」などと言っていたら、逆に「先生、なぜですか?」と質問が来たであろう。

教養、哲学的素養を少しでも持っている者は、「人種差別はよくない」等といった、安直なデマゴギーを信じたりはしないものだ。

(つまり、「いちご」や「ちーちゃん」のような低学歴無教養に堕したりはしない)


追記:
これに関して、同じようなやりとりをTwitterr上で行った記録を残しておく。
相手は同じく、「とにかく差別は良くない!」ということばかり色々な相手に対して述べている教条主義者であり、Twitter上で女性を口説こうとしている変態。
記録はこちら。