初詣から 能登半島地震その2 | つきつきのひとりごと

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登山の話やミュージカルの感想など、つぶやきます。

市役所で、椅子に座るだけで、不安が、どんどん膨らむ中、携帯ばかり見ていても、使えなくなったら大変ショボーン

(市役所のカウンターにいたムズムズ君、市のマスコット)

その間も、子供達は、心配で、連絡が途切れずえーんえーんえーん


家を出てやがて4時間、隣に座ってたグループが帰り、横の家族が帰り、主人も、「8時過ぎたら、家に、帰ろうか!」と


その間も、「クロスベイ新湊」で、降ろしたご夫婦とは、こまめに連絡をとっていて、「屋上にいたけど、寒くて、横の「新湊第一インホテル」に移動したよ!情報は、入らないよ」「そろそろ近所の人達も家に帰るって言ってるから、私達も帰るよ」とかウインク


そして、9時過ぎに、家に着いて、お腹も空いていたので、もう食べる事ないかもと思っていた、おせち、お刺身、🦀を出して、勢いで、食べました、その夜は、皆、服を着たまま、寝ることにしました。

何より、93歳の母には、不安の中、ずうっと椅子に座っているのは、キツかっただろうし、早く横になってもらいましたウインク


余震は、何回も何回もありましたえーんえーんえーん


市役所に避難してから、友達からも、たくさん連絡もらい、ありがたかったですウインク


私が、富山だという事、知っててくれて、中には、避難し、市役所にたどり着くまでの車中で、私が、「大丈夫じゃないよ、いま避難中」と言ったら、友達が、「早くさいたまに帰って」と返事してくれた友達もいて、泣きそうになりましたえーんえーんえーん


2日、3日、4日、そして5日目、毎日、余震に怯えながらも、ライフラインには、問題がないので、買い物に行ったり、お風呂に入ったり、通常の生活が送れています。


ただ、その後、母を1人にする事はしていません。


日が経つにつれ、あまりにも大きい被害、そして、まだまだ、断水の続く地域のある事など、本当に悲し過ぎます。


そして、同じ町内でも電柱が、かたがったり、液状化現象のあるところがある事、危険な赤い紙、要注意の黄色い紙の貼った家があるのも、びっくりでした‼️


私は、一人暮らしになった母の世話で、妹と2週間交代で、実家に来ていて、明日からは、交代で、さいたまに帰ります。もちろん心配ですが、母は、10日程、デイサービスで、お泊まりさせていただきます。頑丈なビルだし、親切な職員さんに囲まれているので、安心です。


避難所にもなっていて、食料の備蓄もあると聞き、改めて安心していますニコニコ


これから、少しでも余震が減りますように、富山も被害が、小さいわけではありませんが、能登の皆さんの事思うと、心が痛みます、何かできることはないか!と模索しつつ、みなさんに、平穏な日々が1日でも早く戻りますように‼️


そして、私ごとですが、今、思い返すと、初詣の行列がもっと長かったり、少し時間がずれていたら、地震の中、母を1人にしたかもしれない!車で家に向かおうにも、大渋滞で、なかなか帰れなかったかもしれない!私達が、早く、家に帰っていて、本当に良かった、そして、実は、さいたまから、こちらに来る前、主人と些細なことで、喧嘩をしていて、「富山行かない‼️」と言っていた主人が、来てくれて本当に良かった‼️助かった‼️


なんとなく、来るとは、思っていたけれどウインク


今日、娘と話していて、「あの日、ママ、すごくパニクっていたよ‼️」

そりゃ、そうでしょ‼️

ツナミが来てたら、無理だったよ‼️


そりゃ、パニックになるよ‼️


車内のテレビ画面が「ツナミ 逃げて」とずっと表示されて、アナウンスも、冷静だったから、本当に恐怖でした‼️恐怖しかない‼️


歩行器の母と私では、避難も出来なかったかもしれません、主人がいてくれて、どれだけ気丈夫だったか、今は、主人に感謝しています‼️