何ヶ月も前の話。

なんか書くタイミングを逃してたんだけど、氷艶始まる前に片付けておこうかな、と。




家庭画報2024年新春特大号。

その中の大輔さんの言葉に衝撃を受ける。

ソチ五輪の「ビートルズメドレー」について、「あんなに寂しい想いの中(滑っていた)」と語っていたのだ。


ええと、はっきり言う。私の衝撃は「大輔さんがそんな想いで滑っていたの〜」という、ファン対象を思いやってのものではない。

単に、「あー、だから私は大輔さんにはまってしまったわけか」と、自分の性癖を突きつけられてしまったことによる衝撃である。

2013全日本選手権とその後のテレビ番組「プリズム」を観て、高橋大輔選手情報を追いかけ始めた。そのときに既にファンになってはいたわけだけど(実はその時点ではファンになった自覚はなかった)。

ソチ五輪のフリーの後、私は食欲は落ちたのになんか体温は上がっているというほとんど恋煩いに近いような状況に一時期なってしまったのである。その、感情が発火した理由が分かったような気がしたのだ。




家庭画報新年号自体がかなり前だが、もう少し遡る。

フレンズオンアイス2023、ジェレミー・アボットの演技を見ながら、私は不思議な気分になっていた。

明るく楽しく、センスのいい音楽にぴったり合わせた演技。スケーティングは相変わらず見事。いつもと変わらず魅力的なスケーターで、なのに、なぜか私は今までほど彼に惹かれなかったのだ。

いや、素敵なのよ。楽しいのよ。

ただ、何かが違うのだ。


2021NHK杯の、アリサ・リュウ選手のコーチをしていたときの後姿を思い出す。アリサ・リュウ選手の演技はいいのに、ついついリンクサイドのアボットコーチに目が行ってしまうのである。立っているだけの彼の中の何か、演技に関係ない何かが、私の目を惹きつける。その何かは分からなかったけれど、単純に「まあそれがその人を好きってことなんだろうな」と思っていた。

その、2021NHK杯のときに感じた引力みたいなものが、フレンズオンアイス2023のときのアボットからは感じられなかったのである。


で、演技を見ながらぼーっと考えたのだ。以前のアボットにはあって、2023年の彼にはないと感じたもの、それはなんだろうと。

それは、「迷子になって行き暮れた少年が寂しさと諦めを抱え込んで静かに座り込んでいるような、そんな印象」だった。

アボットという大人の中にある「寂しい少年っぽさ」に惹かれていたんだと、このとき気がついたのである。

2023年のアボットの印象は、素敵な大人で、仕事か私生活かその両方が充実しているのか、幸せそうで、それはとてもいいことで。トップクラスのスケーターが見事な演技をしているのだから見ていてとても楽しくて、まったく文句はなかった。

ただ私が、アボットに特にこだわってきた(アボット選手の名を覚えたのは2011年の「エクソジェネシス」をテレビで観た時から。実は高橋大輔選手より先にお気に入り選手になっていたのである)部分だけが、すっと消えてしまった、そんな感じだったのだ。

で、それはそれでいいと思った。アボットの「演技」自体は魅力あったしね。




で、家庭画報の一文で気がついたのだ。

2014年ソチ五輪の「ビートルズメドレー」を観て、私の感情が発火したのは、高橋大輔選手の中の「寂しい少年ぽさ」を観てしまったからか、と。

つまり、私はそういうのに弱いのだと。

そうだったのか、私はそういう性癖だったのか、と私は自分を知ったのである。




大輔さんはその後、少しずつ自分に自信をつけていき、大人になっていったから、その分「寂しい少年っぽさ」は減ってしまったと思う。ただ、まったくなくなってはいないような気がする。


今の私は大輔さんの他の美点も好きになっている。だからソチ五輪のときの寂しさが大輔さんの中から完全になくなってしまっても、大輔さんのことを観続けるつもりである。

ただ、発端はそれだったのね、と思ったのだ。



(そういえば2021NHK杯の写真ってアップしてたっけ?)