結局、村元・高橋組の引退の理由は、高橋大輔選手の右ひざの古傷だった。
大輔さんが右ひざの怪我のせいで進む方向を変えるの、何度目だっけ?



と、思い起こす。
私、最初の前十字靭帯断裂のときも、ソチ五輪前の怪我のときも、その前に「大丈夫か?」と思ったんだよね。
「ロミオとジュリエット」を見て、「この先、何やるの?」と思い、2013NHK杯の「ビートルズメドレー」を見て、「すごい」と思ったけど緊張感が過剰に感じられて気になったんだった。
どちらも私はファンになる前のことだったけれど、見てはいたのだ。

今回はそういうの、なかったよなあ。世界選手権の「オペラ座の怪人」は、出し切れただけで、器以上のことをやってそうな印象はなかった。次はないと思っての試合だから、「まだまだ進まなきゃ」という意識は当然ないだろうし、そのせいかしらん?



それにしても右ひざが、進むことを押しとどめてしまうんだなあ、どうしてだろう、と思って気が付く。
逆だ。
右ひざの怪我がなかったら、かっ飛ばしてしまうんだ、高橋大輔という人は。



ふと、ここのところ見ているNHKの連ドラ「らんまん」を思い出した。
植物学者牧野富太郎氏をモデルにしたドラマで、主人公は植物を観察するのが好きだが、造り酒屋の跡取りとして大切に育てられ、当主となった若者。
シーボルトが日本の植物についてまとめた本を見た主人公は、その本にダメ出しをする。
そして、日本の植物を明らかにしていくのに必要な資質を口にし、「そういう人間が、今、ここに居合わせている」、自分がやらなければと語るのだ。
そして隣にいた主人公の知り合いは、「おまん、傲慢なんてもんじゃねえ!とんだ強欲!」と主人公に言うのである。

天才と言われる人が持つ、常人には考えられないくらいの、強い欲求。
そして自分の身を、平穏を、時間を削ってでも達成しようとする意志。
そうしてその人が身を削って達成したものは、私達常人の生活を少しばかり豊かにしてくれるのだ。

まあ、昔の話だから「強欲」という言葉なのだろう。決められた道を進むのが当たり前の時代だから、それに外れようとする人間には多少なりとも非難の意味がある言葉が使われてしまう。
(このドラマでそう言ってる人自体は、主人公のそういうところが気に入ってるんだけどね。)
今なら強欲という言葉の持つ悪い意味を避けるために、例えば「情熱」という言葉を使うのだろうな。



とはいえ「何かを達成してみせる」という思いはまさに、その人の欲から来ているわけで。その欲を、最も綺麗な形で私たちに見せてくれる、だから周りの人間も心を寄せる。
大輔さんという人はそういう鮮やかな人だったんだな、と改めて思ったのである。



(敢えて、背中)