ベッドサイドテーブルに置いている、かなだいのソーラン節のアクスタ。
気に入ってて、ずっと置いていようかなと思ってたそれに対する気持ちが、急に少し色褪せる。
今季の「オペラ座の怪人」のアクスタが出たら、多分私、買って置き換えると思う。
スケートアメリカ、村元哉中・髙橋大輔組「Conga」。
素晴らしいスピードで絡みあう二人を見るうち、頭が少しトリップする。この二人がいるのは、小洒落た酒場?夕暮れの波打ち際のデッキの上?女が飲むのはカクテル?スパークリングワイン?
考えるともなく切れ切れのイメージが浮かんでは消える。好きな物語を没頭して読んでいるときのような興奮。
来た。久しぶりのこの感じ。
大輔さんがアイスダンスに転向してからの2シーズン、こういう興奮は感じてなかった、ということに逆に気がつく。あ、あくまでも競技ではだけどね。ショーは別である。
そうなのだ。「ソーラン節」は気に入っていた。そして二人はあのプログラムで色々なイメージを展開していて、そのイメージの一つ一つを読み取るのは面白かった。
でも、イメージを読み取っても、こちらがそのイメージを組み合わせて妄想するところまでは行かなかったのだ。
あ、私は別に能動的に妄想したいと思ってるわけじゃなくて、ただ没頭するとイメージのかけらが勝手に頭に浮かんでくるのである。今回の「Conga」のように。
それが「ソーラン節」のときはなかった。カッコいいプログラムでワクワクしてみてたんだけど、別世界までトリップした感はなかった。
今から振り返ると「Conga」と比べると「ソーラン節」は、自動人形(オートマタ)みたいだったなと思う。動きの一つ一つは魅力的なんだけれど、人間っぽい情感がないというか。
あ、でも、フレンズオンアイスのときの「Conga」をテレビで見たときも、実はトリップ感なかったんだよなあ。今回初めて感じたのだ。
多分、自動人形のように動けるようになる段階があって、その先に、私の妄想を引き出してしまうほどの情感を演技に乗せられる段階が来るのではないだろうか。
とにかく。
ついに来たのだ。
これまで「髙橋大輔の世界」を味わってきたのと近いくらい、「かなだいの世界」を味わえるようになった日が。
スポーツ観戦には、純粋にスポーツの技量を楽しむこともあれば、そのアスリートの人生の軌跡、直面した事態にどう対処するかという行動を楽しむこともある。
そして、フィギュアスケートの場合は、そのスケーターが作りあげ展開する世界を観るという楽しみもある。
髙橋大輔選手アイスダンス転向後は、かなり前者の方の比重が高くて、で、それ自体も十分楽しめたんだけれど。
ようやく後者の方もシングル時代に近いくらい楽しめるようになったんだなと感じた。
と、「Conga」が終わったあと思ったんだけど、書く時間がなくて。
「オペラ座」見た後でも同じような感じだろうから、両者をまとめた記事を書こうと思ってたんだよね。
ところが、フリーダンス見たら、それだけで記事描きたくなってしまって。まずはリズムダンスを見ての話だけ、今回の記事では書いてます。