「誤認識の嫉妬」 | フィギュアスケート妄想・疾走者

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どこかの民族では、数の概念は「1、2、たくさん」しかなかったとかいう話を聞いたことがある。

一人でも、二人でも、大勢と組んでも、高橋大輔はかっこいい。

嫉妬の話。
フィギュアスケートから少し離れて、世の中の話にまでしてみようかなとおもう。



「嫉妬だったんだ…」記事で、「嫉妬は、格下の者に対して起きる感情」ということを書いた。心理学者の言葉もあり、源氏物語という古典の名作でもそういう情景は描かれている。まず間違い無いだろう。

しかしである。
私はそう思ってなかったのだ。嫉妬というのは羨望が歪んだものというイメージを持っていた。
言い換えると「格下の人間が恵まれている上位者に対して抱く感情」なのだと思っていた。
そしてその感覚は私だけではないとおもう。ツイッターで「羽生 嫉妬」と検索すると、「他ファンから嫉妬される」という感じのつぶやきの多いこと。
一つ例を挙げるとこんなやつね。


「嫉妬とは上位者に対する羨望が歪んだ形になったもの」という感覚は、私一人ではないのは間違いない。
また「羽生ファンは嫉妬深い」という言葉が(ごく一部の羽生ファンアンチ以外からは)出ないことを考えても、世の中の人間が「格上の者は格下の者に対して嫉妬しない」と錯覚している可能性は高いだろう。実際には逆なのに、である。
これはどういうことなんだろう?



考えられるのは、世間に広く情報を伝える力を持つマスコミの人間自体が、社会的には上位者であるため(どういう情報を流すかを決めるレベルの人間は高給取りだ)、自分達こそが嫉妬深いという醜い面は伝えたくない。
というか、「羨望される」という状況は優越感がくすぐられて心地いいので(例に挙げたツイートにもある通り)、そういう情報(一部の自己イメージが高すぎて社会的地位が高い人間に対しても嫉妬するような変な輩の話など)をつい取り上げてしまうということもあるのかもしれない。



しかしこの嫉妬に対する誤認識って、結構害があるのでは?という気がしてきたのである。
以降「嫉妬とは上位者に対する羨望が歪んだ形になったもの」という概念を「誤認識の嫉妬」という言葉で書き、その問題点を指摘する。

一つ目は、格下の人間が思考を積み重ねて語ったことを、社会的に上位の人間が拒否する口実として、「誤認識の嫉妬」が使えること。

「あれは歪んだ感情から来る言葉だから考慮する必要はない。いうことを聞いたところで、また感情的に次のこと言ってくるだけだ、意味がない」って感じで無視するという感じ。トーンポリシングの一種ですな。
ただでさえ格上の人間は格下より発言権大きいというのに、それを強化してしまうのである。

もう一つは、格上の人間の嫉妬の感情から来る害意を、格下の人間が認識しにくいこと。

格上の人間は、それが嫉妬の感情から来ていても、「いや、理性的な判断だよ」と言える。そして格下の人間は違和感を覚えても、動機が分からないため混乱してしまったりするのである。
実際、私自身が混乱してたわけよ。なんで羽生ファン、こんなに髙橋大輔選手を誹謗中傷するんだ?と。不思議で不気味で、理解できなかった。しかし、嫉妬という人間の基本的感情から来てたんだ、と思えば納得できて気持ちが落ち着いたのである。
つまり、私が「嫉妬だったんだ…」の一連の記事を書いた理由はそれだったのだ。
一部の羽生ファンの言動は不気味だった。しかし分かってしまえば人間の根源的な感情から来る自然なものだと分かったことで、冷静に見られるようになった。それを伝えたかったのだ。



格下の人間を抑圧し、判断を誤らせかねないということを考えると、「誤認識の嫉妬」が世の常識みたいになっている状況というのは、あまり良くないことなんだと思う。
しかし逆にいうと、社会的上位者にとってはこの「誤認識の嫉妬」という概念は都合がいい。
自分達を脅かしかねない格下の人間の意見を感情から来るものに過ぎないと封じ込められる。また、自分達の秘めた敵意や害意を相手に認識させないで済む。いや、それ以上に自分の敵意や悪意を自分自身認識せずに済んでいることも多いのではないか?
実に便利な概念なのだ(だからマスコミの人間は心理学的な定義に興味を持たないんだろうな)

つまり「誤認識の嫉妬」は秩序の安定に役立つ。逆にいうと、社会の不都合に蓋をする方向に行きかねない危険があるというか。
社会の不都合や不条理は、当然社会的階層の低い人間のところにより多く現れる。それに対する抗議の言葉を「嫉妬から来ているんだ」ということで片付けられる。便利で、しかし社会を硬直化させかねない概念なのだ。
秩序の安定と社会の発展は、食い違ったりするものなのである。
まあそもそも、嫉妬という感情はテリトリー意識から来ていることを考えれば、嫉妬が秩序維持の方向に発動するのは当然なんだろうけどね。



で。
ブログテーマ、どこにいれるか迷って、「女と男と世の中と」にしてしまったので、ちょっとばかり男女関係の話を。

昔、こんな言葉を見かけたことがある。
「三角関係において、女性は入り込んできた女性を恨み、男性は入り込ませた女性を恨む」と。

つまり男女女でも、女男男でも、恨まれるのは女なのである。女性がお邪魔虫の女性を恨むのは自然だけど、なんで男性は女性を恨むんだろうと不思議だった。
しかし「嫉妬は格下の者に対して起きる感情」と思えば納得である。
現在でもパートナーの女性を格下と思っている男性は多い、昔ならなおさらだ。
一方、男性VS男性の場合は、どちらが格上かは社会的な地位など複合的に決まるので、嫉妬が引き起こされる相手とは限らない。
格下対象なのは女性の方が可能性が高いのである。

三角関係という、一見社会に関係ない恋愛の話においても、社会的立場が影響を与えているわけかしらん?と思ってしまった。