世界選手権、宇野昌磨選手のフリー。
ファーストジャンプが四回転と三回転アクセルしかないと聞いて、プロトコルを見る。

新しい時代が来たのか、と思う。


テレビ テレビ テレビ

今季のNHK杯前のNHKの番組「筋肉アワー」。
そこで発した町田樹氏の言葉が、羽生ファンの間で物議を醸していた。
羽生選手が挑戦し続けている四回転アクセルに対し「誰でもとべるようになる」と、町田氏は発言したのだ。むろんこの「誰でも」はあくまで「トップ選手の誰でも」という意味だろう。地方大会では三回転アクセルを跳べない選手だっているのだから。
ただ、羽生ファンの間では四回転アクセルは「羽生くんにしか跳べない」と思われていた(?)のか、これに対する反発の声が結構ネットに上がっていた。
そして、町田氏に対して、羽生選手に対して含むところがあるのでは?などと誹謗中傷めいた言葉すら出ていたように記憶している。

分かってないなあ。あれ、マッチーの精一杯のことほぎの言葉だろうに(やっぱ町田樹氏とか堅苦しい言葉使ってられないわあ)

どんなすごい技でも、使われなければ意識されなくなる。
密林の中に建つ壮大な美しい神殿。しかしどれほど美しく見事であろうと、人が訪れなくなり通う道も消えてしまえば、その存在は人々の記憶から失われていく。その神殿を訪れる人が続いているからこそ、神殿は崇められるのである。
羽生結弦選手は世界のトップ選手、つまり王道を行く選手だと現在見なされている。その王道の技を、次世代が受け継ぐことにより、羽生選手は「新しい歴史を切り開いた存在」となるのだ。
続く選手がいなければ、密林の中の神殿の如く幻の技となってしまう。

そのことを日本の研究者であるマッチーは分かっていたと思う。
なにせ最高難度のジャンプを跳んでも、それが歴史を切り開いたと見なされなかった過去が日本にはある。
伊藤みどり選手は三回転アクセルを跳び、彼女自体は特別な選手だと認識されたが、三回転アクセル自体は「選手が目指すべき最高峰の技」とは見なされなかった。単なる特別な個性の持ち主の独特なジャンプとして扱われた。
その後、三回転アクセルを跳ぶ選手は日本では何人か現れたが、その技が特に高く評価されることはなく、一地域のローカルな技扱いという感じだった。
これはそもそも、伊藤みどり選手自体が特別な存在であっても、特異、ユニークという形で評価され、王道の選手という認識がなかったからだと思う。そして、三回転アクセルを継ぐ選手達も、途切れ途切れに現れ、かつ王者になるとは限らなかったため(中野友加里選手とか)、評価する側も今一つ安定した評価を与えることが出来なかった。
そう、王者の堂々たる技だからこそ歴史的な物として扱われる。

そしてその歴史を変えた技が次世代の最高の選手たちに受け継がれることにより、はじめて始祖の栄光の輝きはいつまでも続くのだ。
どのような素晴らしいものも、継ぐ者がいるからこそその存在が重く扱われる。
そういうことをあのとき、考えたのだ。



宇野昌磨選手のフリーと、その結果の勝利を見て思った。
「これからは、高難度の四回転ジャンプを使いこなす時代がやってくる」と。高難度ジャンプを跳べば、数を増やせば勝てるという時代は多分終わった。高難度ジャンプを跳んだうえで、なおかつ他の部分も磨き上げ、観客の興奮を最後までかきたてる、そんな演技こそがトップ選手に求められる演技となった。
それは平昌五輪後の四年間、ネイサン・チェン選手が進み続けた方向である。それが評価されていたからこそ、ネイサン・チェン選手は常に高得点を獲得していた。
ただ、一人だけが行ってもそれは単なる「ネイサン・チェン選手の取り組み」でしかない。競技の方向性を決めるのは、一人では駄目なのだ。

ファーストペンギンという言葉がある。
集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。つまり、リスクをおそれず初めての取り組みを行う人のことをそう呼ぶのだそうな。
しかし、ファーストペンギンが海に飛び込んでも続くペンギンが現れなければ、群れ全体は動かないことも多い。あいつがうまくいかなかったときに頑張ればいいや、とユニークな取り組みを横目で眺めているだけだったりするのも人間だ。
その局面を変えるのは、もう一羽のペンギンが飛び込んだときである。ファーストペンギンがうまくいかなくても、セカンドペンギンがいるからこっちに流れが来ないぞ、と思ったとき、人間は自分の行動を変えたりするのではなかろうか。
宇野昌磨選手のフリーの演技を見て、プロトコルも見て、私はそういうことを考えたのである。

で、「セカンドペンギン」という考えは世の中にあるのかな?と思って検索したら、しっかりあった。
これが面白かった。
"セカンドペンギン理論-フォロワーになる勇気-"
<引用>
 もし、1羽だけ飛び込んで終わりなら、ただのトリッキーなペンギンですw
<引用終わり>

そう。ファーストペンギンであるネイサン・チェン選手は、ある方向へと先頭に立って歩いていった。
そして宇野昌磨選手は、セカンドペンギンであることを選び取り、その方向性を進むことで自己の道を開いた。
その二人の動きにより、新しい時代が拓かれたのだ。

そして多分鍵山優真選手やイリア・マニリン選手といった新世代は、この競技はそういうものだと自然に受け止め、拓けた道を真っ直ぐに進んでいくのだろう。
私はそう感じたのだ。












蛇足。

輔オタなもんで、トリノの地で、練習でも成功していない四回転フリップを跳んだ、トリッキーなファーストペンギンもちょっと思い出したりして。

それを見たセカンドペンギンは自論を捨て四回転を身に付け、時代の流れを決定づけた。おかげでその後ファーストペンギンは苦労するわけだけど。

あのとき、日本初・アジア初の世界王者は、確かに時代の先頭に立ったのだ。


もっともそのときの次世代の旗手は二羽のペンギンがいなくてもその道を進んだかな?彼はその時代の旗手達ではなく、もっと昔の時代を理想とし、ルネッサンスを起こそうとしてた感じだったからね。