ええい、私は他に書きたいことあるのにーっ。と、思いながら書く。

だって、多分、ごく少数の筈なのだ。「羽生選手のファンではないのにContinues with Wingsに行った人」なんて。で、ネットで情報をチェックして発信してる人なんて、ほとんどいないと思う。私くらいのはずである。
ちなみにCwW公演感想の記事を書いたときの一日のアクセス数は、いまだに私のブログのベストアクセスである。うう、誰のファンのブログだ…。

(ベスト以外のアクセス数はぼかしてます)

だから、書かないわけにはいかない。ええ、うっかり変なブログを読んでしまったのが間違いだったとは思う。地雷だった。知らなければこんなこと書く気にもならなかったろうに。


ある羽生ファンのブログで、こういう言葉を見かけたのだ。


……………あの、幸せに満ちた祝祭空間にそんなものあったか?という、居合わせた者だからこそ思う実感がある。
少なくとも、公演直後にそんな話が出なかったという記憶もある。



何より、あの輝かしい時間を真偽不明の言葉で陰らせなくても、と思うのである。
そう、陰らせるのなら本気でやれ。きちんとその呟きを見つけて引用するくらいしろよ、と思う。

誇りはないのだろうか。
あの、羽生選手が精一杯考えて作り上げたと聞く公演。ファンでない私でも感嘆するような世界。
つまり、羽生選手からの贈り物である。それに瑕があった、と、語りたい心理が分からない。
よほどの確証がなければ語るべきことではないと思う。
むろん確証があれば別である。他者にもその「確証」を含めて提示すればいいと思う。
しかし今回のは具体的なつぶやきすら出されていない。



確証も出せないのに、そんなに「ファン以外の人からひどい目にあっている~。」と触れ回りたいんだろうか。理解できない心理である。被害者願望でもあるのか?



ちなみに私は、周りがスタオベしたときもしないことは結構ありました。
これ、個人的な信条ね。スタオベはそうそうするものじゃないと思ってるもので。
その私の態度が「地蔵行為」と取られたんですかね?

でもさー、「統一されたバナータオルは個性がなくて気持ち悪い」と言ってる人たちが、「周りと同じじゃなきゃ許せない」と統一された行動を要求するのはご都合主義だと思うよ。

ちなみに、羽生選手の演技のときはスタオベしました。
ショーの終盤に三プログラム一気、なんて畳みかけるような見せ場作られたら、そりゃノるってものです。見事でした。