新聞からの読みかじり(そんな言葉あるのか)の知識だけれど、昔の「夢」という言葉には、今使われるような「将来実現させたい希望」のような意味はなかったらしい。
単に「眠っているときに見るもの」「はかなくたよりないもの」「現実とは違うもの」という意味だけだったそうだ。確かに、昔の身分社会で「今と違う今より素晴らしい自分」なんて目指しても破滅するだけのような気がするもんね。

テレビ

2011-2012シーズンにアボット選手の「エクソジェネシス」をテレビで見た。
すごく気に入って「この人の演技を生で見れたらいいなあ」と思ったけれど、それは昔の意味での「夢」だった。想像するだけ、叶うとは思っていない夢。
当時の私は、フィギュアスケートはテレビで見るもの、としか考えていなかった。たまたま将来フィギュアスケートを好きな人と知り合って、その人からアイスショーに誘われるなんてことがあったら行ってみてもいいかな、という程度にしか思ってなかった。で、そういうスタンスでは、それほど有名というわけでもない外国人スケーターの演技に出会えるなんてことはまずないだろう、と考えていた。
ついでにいうと、当時、「髙橋選手とアボット選手とどちらが好き?」と聞かれたら、多分「うーん、どっちもかな」と迷ったと思う。うん、そんなものだった。
まさかねー、オリンピックシーズンで髙橋大輔選手にハマって、知り合いもいないのにアイスショーに行くと決めて、自分でチケット買うようになるとは思っていなかった。

で、2014の世界選手権「髙橋大輔選手が出場しないので、チケット交換の部屋で『譲ります』がかなり出ている」という情報が流れた。そのとき買おうかなあ、とちょっと考えたんだよね、アボット選手が出るから。そのときは既に大輔さんにハマっていたけれど、アボットはアボットで見たかった。たまアリじゃ遠すぎる、と思って諦めたんだけどね。
で、ますますアボット選手を見るのは「夢」だと思った。縁がないのかも、と。

だから今回、フレンズオンアイスのチケットを知り合いから譲ってもらって(自分で申し込んだ分は外れた)、その後、アボット選手INと聞いたときは興奮した。

「夢って叶うんだあ」と。

フレンズオンアイスに行く最大の目的は、もちろん髙橋大輔の演技を見るためだけれど、その次の目的はアボットの演技を見ること、だった。
いやもちろん、今回のフレンズは「綺羅星の如く」素敵なスケーターが集まっているので、ちょっと考えると「この人も、あ、この人も・・・」状態になるんだけれど、数え上げていくと結局全部になりそうなので取りあえず優先順位を付けた。
第一は大輔さん、第二はアボット選手。
昔読んだ本に、どこぞの原住民では数学の概念がほとんどなく「一、二、たくさん」で生活していたと聞いたことがあるけれど、そんな感じである。

演劇

にもかかわらず。

ジェレミー・アボットが最初に演じたコラボナンバーでは、彼に目が行かなかった。

何せコラボの他のメンバーはメリル・デイビス&チャーリー・ホワイト、そして佐藤有香だった。ついついそちらに目が行く。この三人の「誰」ということではない。適当に見るポイントは移り変わっていくんだけれど、とにかくアボットに目が行かない。
「せっかくアボット見に来たんだから」と、二、三度アボットに集中して見たが諦めた。他のスケーターを見る方が私にとって自然なのだ。それなりに出費しているのに、自分が楽しめないような苦行をしてどーする。

スケーターとしての格の違い、なんだろうか。メリル&チャーリーはオリンピック金メダリスト。佐藤有香さんはワールドの元金メダリスト。頂点に立つことが出来る人間は、やはり観客に訴えるものが違う、とか?

コラボ自体は素敵なものだったし楽しんだんだけどね。
私、それほどアボット選手好きじゃなかったのか?テレビと生では印象が違うことがあるからそのせいか?などと思ってしまったという。



そして、休憩の後、第二部。アボット選手のソロナンバーは「明日に架ける橋」だった。誰でも知っているであろう曲。
ピアノのイントロは最初強いけれど、その音が小さくなって、静かな、しかし力を秘めた歌い出しとなる。その音楽に調和して、柔らかさを感じさせながら堂々と滑っていく姿。
コラボのときは、私、この人それほど好きじゃないんだろうかと疑問に思った。でも、やっぱりこの人が展開する世界、好きだと感じる。シングルスケーターは一人でどれだけ曲と調和した世界を作り上げることが出来るか、それがポイントなのかもしれない。よく言われる「世界観」という言葉を実感する。あっという間にアボット選手が作る世界に引き込まれた。

以前からこの歌を聞くときにイメージしていたのは壮麗な夕陽、そのオレンジの光に染まる世界だった。私は英語音痴で歌詞はチェックしないのでタイトルと曲のイメージだけで勝手に想像していた。
明日は晴れる。しかしそれは永遠じゃなく、雨の日もまた来るだろうけれど、それでもまた光は射す。その光を目指す。そんな世界なのかな、と。そして、目の前の演技も、そんなイメージだった。照明の光もオレンジを使っていて、他の人も同じように感じるのかな、なんて思う。

そう、私はこういう叙情的な演技が見たかったのだ。2011-12シーズンの「エクソジェネシス」のような。
本当に夢が叶った。静かでかろやかなのに力がある、繊細なのに堂々とした、見ている人の胸の奥に傷みを感じるような、そんな滑りを見ることができた。
うん、この昼公演で良かった。アボットが今回日本向けに用意してきたナンバーは二つと聞いていた。もう一つの「ピーナツバタージェリー」が演じられた回もあると聞く。
私が見たかったのは叙情的な演技だったから「明日に架ける橋」に当たったのはラッキーだった。

第二部始まる前の休憩時間、複数回この公演に通っている方とお話しをした。その方が「今日の大輔さんは他の回と比べると今一つ」と言うので、ちょっと残念に思っていた。しかしこの回で良かったんだ、と思う。
そう、今一つであっても髙橋大輔という人は基本的な演技の水準が高いんだから、それなりの演技でそれなりに満足できる。「私にとっていい方の曲」のアボット選手の演技を見ることが出来たんだから、私がこの回だったのは正解だったんだ。そう納得することが出来た。

胸の奥がじいんとなるような演技を見ながら、頭の一方でそんなことを考えていたりした。

走る人

アイスショーが終わり退場しようとして、アボット選手のファンクラブからの花束が飾られているのに気がつく。
青い薔薇を中心に、青いアジサイやエンジ色の枝で飾られた、シックな花束。素敵だった。アボット選手のイメージに似つかわしい。
開演前に気がつかなかったのが残念。そのときなら写真撮れたのに。花束の前の通路を次々と観客が通っていくので、写真を撮れる状況じゃないのである。

青い薔薇。着色か造花か、それは分からない。多分着色だと思う。
その自然じゃない色合いは、元々の色で咲き誇る他の花束の花よりも静かな印象だった。造形の複雑さを気高く見せる白薔薇、咲き誇る命の強さを印象づける赤薔薇と違って、ある意味控えめな印象。
あえて色をつけて(?)、あるいは自然に存在しない色の花を作って(?)いるというのに、花としての存在感は減っているのだ。

うん、アボット選手に近いような気がする。彼は叙情性や音楽との高い同調性を持ち、そして体格もいい。薔薇のように華やかになれる要素を取り揃えていながら、彼はそれらの自分の特徴を静かで穏やかな世界を広げるためにつかうのだ。
過去、テレビで見た楽しい弾むようなプログラムでも、彼は華やかに演じるのではなく、どちらかというと粋に客をいなしながら滑っていたような。

私の心は赤い薔薇(品種はサムライ?)に呪縛されている。何せフレンズ初期メンバーのコラボナンバーで、「ビートルズメドレー」の衣装を着た大輔さんがレイバックスピンをする姿を見ただけで、「あああ、『ビートルズメドレー』の欠片みたいなものが見れた。これだけでも来て良かった~」と、なんか頭の中で変なスイッチが入ってしまうくらいなんである。
とはいえ、シックな青い薔薇もやはり好きだなあと、花束をしばし眺めてしまった。



そういえば、青い薔薇の花言葉って変わったんだよね。
元々は、青い薔薇は存在しなかったから、花言葉も「不可能」「存在しないもの」だった。
ところがサントリーが青い薔薇を作り出すことに成功したので、花言葉に「夢 かなう」が追加されたとか。

アボット選手の演技を直に見るという夢が叶った。
そして、ビートルズメドレーの欠片のような世界まで見られた。

品種改良で作られたという本当の青い薔薇はまだ見たことがないけれど。
私は青い薔薇を二輪、手に入れたようなものだったのかもね。


(サントリーが作り出したブルーローズ「アプローズ」は、2013GPFのメダリストブーケに使われていたそうな)