ちょっと前の話。
「カーニバルオンアイス完全版」、なんで木曜日に放送なのよ~。木曜日はアニメのゴールデンタイムである。「アイカツ」に「ポケモン」に「NARUTO」。テレビ東京のこれらの番組が録画予定入っていたので録画出来ない。
うーっ、カーニバルオンアイスはBSジャパン、つまりテレビ東京のBS放送なのに。テレビ東京のせいで邪魔された~と思うと、かなりしゃくにさわる。どうしようもないけれど。

というわけで逆にリアル放送時に見せてもらった。もっとも家事に追われるので切れ切れだけどね。

一番のお目当ては「菅原小春」である。スケーターではなく。
今年、たまたま「めざましテレビ」で取り上げられているのを見て気に入ってしまった。最初、女性だとは思わなかったけれど。
スケーターとのコラボシーンでもスケーターではなく、ステージの彼女を中心に見る。
カーニバルオンアイスのスケーター達は豪華なラインナップだと思う、しかし、彼女が見たい。なかなか見る機会や情報がない、というのもある。

・・・という感じで肩入れしているのに、なぜか名前を覚えられない。つい菅原小春ではなく「如月小春」という名前が頭から出てくる。
あれ、何で間違えるんだろう、と考えて、如月小春さんという人間がかつていたこと、そしてそのことをすっかり忘れていたことに気が付いた。

如月小春。詳しくは知らない。
ただ、ある小劇団の中心メンバーだとは聞いていた。そして、彼女の書いた脚本を一つだけ読んで、衝撃を受けた。都会的で無機質な世界。どこかSFっぽさも感じる。
当時は大学で演劇部にいたから「こういうのをやれたらいいな」と思ったんだけど、もう引退間際で機会はなかった。それに女性中心の芝居だったから、男性の方が多くて彼らが主導だったうちの部では無理だったろう。土地の匂いをガッチリ身につけていた九州男子達に、作品の都会的な疎外感が理解できたかどうかも疑問だ。

そして、その記憶から後日手にした一冊のエッセイ。
当時流行っていたコンクリート打ちっぱなしの建物が、雨の中に立っているような世界だな、と思った。
周りの土地は柔らかく、青草が生え、コンクリートの建物自体も雨を受けて色を変え、潤いと湿り気を感じるのに、コンクリートの建物の線はただ無機質で。
遠目には一見それなりに調和しているように見える。しかしどれだけ雨が降っても、コンクリートの塊の中は乾いていて雨はしみていかないのだ。
心安らぐ自然、それは手近な庭や空き地にあるような自然があり、一方で自然を拒む塊が両方存在している、と感じるような世界なんである。

都会的で無機質な知性をうかがわせる文章。シティホテルの調度のような、生活感から離れた感じ。
その一方で、命と生と生活をしっかり押さえているような感覚もほの見える。
この並列的な思考が魅力であり、その一方で危惧もしていた。生活から離れた無機質な知性と、生活を回す有機的な利口さって、共存するんだろうか?と。
どう共存して、まとめ上げていくのか、この人から目を離したくないなと思ったら・・・亡くなられてしまった。
やはり、自分の心に命と生活を育んでいけるように恵みの雨を降らせつつ、恵みの雨に関係がない乾いた知性をも伸ばすというのは、一人の身体の中で行うのは難しいのかな、とそのときに思った。
自分の中のエネルギーが分化して、まったく違う方向に行ってしまうのをまとめあげるのは苦しく、難しい作業なのだろうか。

同じようなことを、作家の干刈あがたさんが亡くなられたときにも思った。
シングルマザーで、子ども達との生活・命を育むことに身体を張りながら、それを行う自分自身を見つめて、矛盾やしんどさをも書き綴っていく知性。むろんそれを超えて、社会や男女そのものまで思索を巡らしていた。
生を懸命に守りながら、その行為そのものを意味がなく空しく思ったりする知性もまた存在していて、それを手放すことが出来ない。身を削っているなあ、と思いながら読んで「この方はこれから作家としてどう変化していくんだろう」と思っていたら、亡くなられてしまった。

女性であるがゆえにガッチリ受け止めないといけない生活と命。彼女たちはどちらもお子さんがいるので逃げようがない。
その一方で抱えた、社会を分析する都会的で有用で冷静な知性。
生活面での原始的で野暮ったい局面、だけど人間に必要な世界をも、知性で分析する。
野暮ったい生活の側面をばかばかしいと感じる自分がいても、必要であることは分かるので、その身を投入せざるを得ない。

・・・なんてことを訃報を知った時は考えてしまったのだけれど。しかし私はこの方たちの作品にたいして触れていないんである。当たっているとは限らないわけで。
ただ、クールで分析的で冷静な都会的な知性は、都合に応じて眠らせないとやってけないよな、生活は。
と「私が元々思っていたこと」をますます深めてしまった、ことだけは事実。



菅原小春のダンス。最初、女性だとは思わなかった。男性だと思っていて、途中で気が付いて「え、そうなの?」とびっくりした。
肉体の性をなどにとらわれず、自分に取って美しい動きを追求し続けた結果なのだろうか、あのダンスは。性を否定しているわけではない。女性的な魅力を出しているダンスもちゃんとある。
ただどちらかというと、人間は皆生きて死んでいく「個体」である、という感覚の方が強いように感じた。
F1カーが間近を走り抜けていくような、爽快で無機質な動きが組み込まれた、性や生命からはクールに少しばかり距離が置かれている世界。

こういう無機質さ、好きだ。しかしどこまでこういう世界を追求し続けるのだろうか。
本人もそのうち肉体の限界が来るとどこかで語っていたとか。
ある程度突っ走ったら生活に根差した世界に行くのか、それとも限界まで追求するのか、風のしらせでいいから聞きたいものである。
フィギュアスケートに時間使うだけで手いっぱいなので、ダンスシーンまでは追いかけきれない。



ふっと思う。・・・浅田真央選手はどこまで走るんだろうね。



<多分見たのはこれ>