東京都内で活動する団体をアーツサポ東京のスタッフが訪問し、日常の練習や公演など発表の場を見学し、参加者・指導者からお話を伺って、活動状況をご紹介するレポート・シリーズです。

 

第1回 (迫田時雄委員長のインタビュー)

 

 

~「ピアノパラ」のご活動には、20年近い歩みがあるそうですね。どのような経緯で、活動を始められたのでしょうか。

 

大学で教えた卒業生から、ピアノ教師として、視覚障害のある生徒さんの指導について相談を受けたことをきっかけに、ピアノの道を志す障害者の支援について考えるようになりました。指導者が技術指導にとどまらず、障害について十分な知識を持って臨むことが何より重要と考え、生活全般について学び合う研究会を医学者や指導者と結成して、ともに勉強しました。障害のある音大学生が就職先探しに苦労していたので、自分たちで音楽教室を開くよう後押しし、定期演奏会の開催を手助けしたこともありました。

 

~こうしたご経験を経て、「ピアノパラ」の第1回大会が開催されたのですね。

 

そうです。質の高い演奏の、国際的なコンサートにしたいと、2005年に第1回国際ピアノパラリンピックを、横浜で開催しました。海外を含め14カ国から、94名が出場しました。

音楽家仲間、海外の友人・門下生らが出場者集めに奔走し、また審査員を務めてくれました。音楽雑誌や福祉関係の媒体などで広報し、観客を集めました。ソロプチミスト、ライオンズクラブなどの協力にも、大いに助けられました。

大会の課題曲は、「さくら さくら」でした。国内の出場者はみな、原曲のイメージを崩さない静かなメロディーを奏でるなか、中国の男性が機関銃のような激しい演奏をして会場を驚かせました。国際大会にしたことで多様性がより豊かになったと思います。大会が大きな話題になったので、出場者に自信がつき、さらに努力しようという意欲につながりました。海外からの出場者は特に練習を重ねて良い演奏を聴かせたので、国内出場者にも刺激となったようです。

親戚から反対され消極的な気持ちで子どもを出場させたという親御さんは、大舞台での演奏に気持ちを高揚させ、早くも次回の出場へと意気込む子どもの姿を見て、出場させて良かったと深く息をついていました。

大会の様子が新聞でも報じられたので、その後、ピアノを始めたいという相談が全国から多く寄せられるようになりました。各地に散らばる音楽家仲間を通じて、ひとりひとりに指導者を仲介し、スムーズに指導が受けられるようサポートしました。

この大会に出場者・観客として訪れる障害者のために、横浜市がボランティア・グループを育成してくれたことは、大きな助けでした。サッカーのワールドカップでボランティア活動に参加した人々を集め、車いすの押し方、白杖の人のガイドの仕方などの事前トレーニングを重ねてくれたのです。大会の当日には、横浜駅から会場のみなとみらいまで、街頭にずらりとボランティアが並んでくれ、本当に心強く感じました。横浜市はさらに、障害者のガイドのためのパンフレットも作成してくれました。今から12年前のことです。画期的なことだったと思います。

 

~第2回、第3回大会は、海外で開催されたのですね。

 

「ピアノパラ」は、パラリンピックと同じように、4年に一度、世界中のいずれかの都市で、開催されます。

第2回は2009年に、カナダのバンクーバーで、12カ国から76名の出場者を迎えて実施しました。車いすユーザーのバンクーバー市長が最初に大きな理解を示してくださったことも功を奏して、大学と市内の楽器店が全面的に協力してくれ、初めての海外での大会もスムーズに運営することができました。バンクーバーの街には車いすを始め障害者の姿が多くみられ、ストリートパフォーマーもいれば、健常者相手に派手なケンカをしている人もいます。街の人々が障害者に対してとても親切なので、感心しました。大会にも多数の障害者が観客として足を運んでくれました。

第3回は2013年に、オーストリアのウィーンで開催しました。東欧をはじめヨーロッパからの出場が多く、19カ国の48名が、ウィーン最古の教会で、ミサの日などをはさんで3日にわたり演奏しました。この大会の課題曲は、ヨーロッパ統合のシンボルともされるベートーベン交響曲第9番の「歓喜の歌」のテーマでした。いろいろな文化の人々が集まって、いろいろな演奏をし合い聴き合うことの喜びを、深く感じましたが、特にドイツの少女の独創性あふれる演奏は、感動的でした。

私は、出場者の演奏に優劣をつけることには抵抗を感じるのですが、“賞”はマスコミに受け、受賞者のその後の活躍に直結します。それで、ウィーン大会では初めて、金賞、銀賞、銅賞を授与しました。入賞者は自国で注目を浴び、ギャラのとれる演奏家になることもできます。その点で、当初から意図してきた、実力がすべてのピアノの世界に入る道筋をつけることができたわけで、自立生活の実現にもつなげられたと考えています。

 

~「ピアノパラ」の活動を通じて、どのようなことを感じ、考えてこられましたか。

 

すべての障害種別の人々が、それぞれの能力を活かして、それぞれの方法でのピアノ演奏を披露する場とすることを、初回からずっと意図してきました。聴覚障害者は、はだしでペダルを踏んで振動で音とリズムをキャッチする驚くべき能力を持つこと、弱視の人は光るものへの集中力がとても高いので、この特性を練習に取り入れることで効果を上げられること、また、知的障害のある人もそれぞれの性質・行動特性を理解できれば指導や対処に活かせることなど、障害種別に関する特色もわかってきました。

ピアノは、実力のみで勝負できる世界です。指導者の(自己流でなく)正確な知識に基づく指導と、良質な発表の場(会場、ピアノ、観客など)の二つが、とても重要な要素です。優れた教師はまるでマジシャンのように、隠れていた才能を引き出し、無二の魅力として開花させることができます。

 

~「ピアノパラ」のめざすものは、何でしょうか。

 

有名なピアニストを育て、その人がビルを建てるほどにピアノで稼ぐようになることが、私の夢です。実力だけで勝負することのできるピアノは、そのための道具です。「本物」でさえあれば、誰もが実力で勝負できるのです。

日本には、八橋検校や、宮城検校と呼ばれる宮城道雄をはじめとして、視覚障害者の伝統音楽の歴史があります。実力さえあれば、障害の有無など無関係に尊敬するのは、日本人の良さだと思います。それが難しい国もあることを知っているからです。

今の時代は国際的に認められることが重要なので、どんなジャンルの芸術も発展のためには、普遍性を持つことが不可欠だと思います。日本の伝統音楽・芸能も、世界の人々に受け入れられ、質の高さを認められていくよう、伝統芸術の本質を守りながらも、新しいアイディアで開拓していくと良いと思います。

 

~今後の展開について、お聞かせください。

 

2018年4月に、アメリカの首都ワシントンで、第4回大会を開催します。すでに出場が内定している日本代表の紹介と、新たな出場者を決める選考会を兼ね合わせて、11月29日に神奈川県相模原市の相模女子大グリーンホールで、演奏会を開催します。

今回ももちろん、すべての障害種別の人に出場してもらいます。障害から生まれた独創的な演奏を評価したいと思います。ピアノソロの他、本人が中心となるアンサンブルや、弾き語りでも良いですし、演奏ジャンルは自由です。ただ、趣味としての演奏でなく、プロを目指す人を歓迎します。多くの方々に出場いただき、また演奏をお聴きいただきたいと思います。

 

~最後に、芸術文化活動を始めてみたいと思う障害のある人々に、メッセージをお願いします。

 

ピアノは、どんな障害を持つ人もそれぞれのやり方で演奏し、楽しむことのできる楽器です。ある時、看護師さんに求められて病院に出向き、手足を動かすことができず酸素吸入器をつけてベッドに横たわるお子さんに、ピアニカに息を吹き込んでもらったことがあります。自分の吹いた息で奏でられるメロディーを聴いて、とても嬉しそうな表情を見せてくれました。子どもの生きる力になりましたと、ご家族にも喜んでいただけました。サポーターの力、そして技術の力を借りながら、どんな方にも何らかの方法でピアノを演奏する喜びを味わってほしいと考えています。ピアノを弾いてみたいという方、あるいは演奏を聴いてみたいという方は、是非「ピアノパラ」にご連絡ください。