【人生】23歳⇒24歳新米教師とっティー 私を支えてくれたもの(後編) | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

【人生】23歳⇒24歳新米教師とっティー 私を支えてくれたもの(後編)

おはようございます。

 

23歳ウツ病から脱出生還。

さらに続く苦難の道。

たくさんの人に支えられ歩くことができた若き日の自分を綴ります。

あと2話です。

 

うつ病新米教師とっティー(1)

うつ病新米教師とっティー(2)

うつ病新米教師とっティー(3)

新米教師とっティー うつ病からの脱出

新米教師とっティー うつ病からの生還

新米教師とっティー 私を支えてくれたもの(前編)

 

 

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手術室へ向かった母を見送り5時間以上の時間が経過していた。

 

 

 

夕暮れ時 手術が終わった。話がある。と声をかけられて

私、父、姉の3人は主治医の元にむかった。

 

 

 

「残念ですが ガンが全身に転移していました。

あと余命3か月です・・・・」

 

 

 

青天の霹靂。

 

確かに病状がよくないことはわかっていた。

 

が、ひと月前に医学界でかなり力のある親戚の叔父から

母のガンは消えていること。

癒着だけおさまればまた元気になるだろう・・・と聞かされていただけに

いきなり命の期限を突きつけられて 体と心がガクガクと震え始めた。

 

 

 

「頑張ったね・・・

手術終わったね・・・・お疲れ様ね・・・」

 

手術室から戻り 意識を少しずつ取り戻している母の手を握り

姉と二人そう声をかけた。

うん うんと 小さく頷く母。

 

 

この人の命

この母の命の終わりの日が近いだなんて・・・・

 

 

病室を出て姉と声をしゃくりあげて泣いた。

 

 

 

 

翌日

どうにもならない精神状況の中 自分に克を入れ学校へ向かう。

 

 

いつもと変わらない賑やかで猿の集団のような教室。

 

 

「おかえり~」

「どうだった~??」

「みんなで10時 時計をみて祈ってたんだよ~!!」

 

 

ギャーギャーワーワー

引っ切り無しに声をかけてくる13歳の少年少女たち。

 

 

 

 

ココロがカラカラのはずなのに

どん底のはずなのに

突きつけられた現実は何も変わらないのはずなのに

 

賑やかで屈託のない生徒達の中に入ると

過酷過ぎる現実をふと忘れられる瞬間があった。

 

 

 

給食あとの確か昼休み

これまた賑やかな声が聞こえてきた。

賑やかというよりも ン?むしろケンカ??

 

 

「てめぇ~この野郎!!

ふざけんじゃねぇーー!!!

このおしゃべり男!!!」

 

 

 

体育会系女子チームが

人はいいがお調子者のKに詰め寄り怒りを爆発させている。

 

 

 

 

何が彼女たちをこう爆発させていたか?

 

 

 

それはこの数時間前に

 

 

「とっテイー とっティー!!

内緒だよ内緒!!

あいつらね とっティーのために千羽鶴折り始めたんだぜ!!

でも内緒っていってるから絶対内緒だよ!!」

 

 

 

 

はいはいはい内緒内緒。

 

 

 

 

それが全部筒抜け

 

喜怒哀楽全開の女子達の罵倒のワケだった。

 

 

 

 

「驚かせたかったのに~!!あのおしゃべり男爆弾爆弾爆弾

少々バツが悪かったのか

私に対しても不貞腐れはしたものの

5人の女子達がその後私、そして母のために千羽鶴をカタチに。

 

「お母さん クラスの子がお母さんに千羽鶴って!!」

 

千羽鶴を手に持ち

写真にうつる元気いっぱいの中学生女子5人の写真をみせると

 

「うれしいねぇ・・・ ありがとうってこの子たちに伝えてね・・・・」

目に涙をためて喜んでくれた母。

 

 

 

またある時の帰りの学活時間。

 

掃除が終わると

いつも収拾のつかない我が1年3組。

 

職員室から戻るといつも我がクラスの廊下だけ

わちゃわちゃしているのに

この日ばかりは し~んと静まりかえっている。

 

 

ン?どうしちゃったのか??我がクラス??

 

 

薄気味悪さすら感じ 教室前の廊下まで歩く。

そしていざ扉をあけると

 

 

「おめでとーーーーー!!」

「おめでとーーーーー!!!」

「とっティーおめでとーーーー!!!」

 

 

クラス全員がクラッカーでバババン!!!

声をあわせて 『HappyBirthday』の歌の大合唱。

 

 

黒板にはみんなの熱い熱いメッセージ。

花束や手紙やらお小遣いを出し合って用意したくれたプレゼントやら何やら

次々にみんなが駆け寄ってきて

24歳スタートを全員でお祝いしてくれた。

 

 

 

「ありがとぉぉーーーーー!!

みんな大好きだぁーーーー!!!」」

 

 

うれし涙爆発!

いきなりすぎる大砲級のプレゼント

 

この子たちに出会えてよかった!

中学生のこの子たちに出会えて本当によかった!

 

 

 

 

「いい子たちに恵まれてあなた幸せだね。お母さんも幸せだよ・・・」

病室のベッドの上で微笑む母。

 

 

 

あなたの生きていく道

あなたらしく

あなたらしくね・・・

 

 

見守り続けてくれた母に

初めて恩返しできたようなそんな24歳のはじまりだった。

 

 

 

 

とはいえ

正直最愛の母に突きつけられた現実は当時の私には本当に苦しくきつくかった。

元気印にしてるけど元気じゃない

いつものとっティーさんじゃない。

 

 

職場の上司 先輩たちはオトナとして距離を置きながらも

そんな私を見守り続けてくれていた。

 

 

生徒達の前では精一杯弾ける

勢いがある子供たちを前にすると忘れられる瞬間 瞬間

 

 

ただ職員室に腰をかけると

どうにもこうにも現実が頭から切り離せない。

日々やつれていく私。食事をまともにとれていないこともちゃんとわかってくれていた。

 

 

 

 

ある半ドンの土曜日。

「とっティーさんよ!

うめぇ~中華料理屋があんだよ!行こうぜ!」

 

 

学年主任の父

隣組のサッカー顧問の兄。

 

 

よく3人でごはんを食べにいったものだが

この二人と回転ずしにいくとスゴイ。

二人で50皿60皿なんてザラ。

うめーうめーーーとこぶしを握りながら感動を声に表す二人。

 

 

この日は最近主任が発見した中華料理屋。

「あれがうめー」

「これがうめーー」と盛り上がり 二人のバカ話。

長い教員人生 さまざまな武勇伝を持つ二人は

おなかがねじれるほど私を笑わせてくれる。

 

「とっティーも うめーからくえ くえ!」とかなりの勢いで進められ

気づくと私は久々にごはんをおなかに入れることができた。

 

 

さんざん笑っておなかいっぱいになった私に

別れる寸前

「がんばれよ・・・」 とぽそりと一声だけかけ去っていった主任。

 

 

こくりとうなづき電車のホームへ。

さりげない男二人の優しさに涙があふれて止まらなくなった。

 

 

 

 

何もみずに何も知らずに

「日本の学校は腐ってる!!」 と異国の夜叫んでいた自分。

確かに腐っている人 腐っている場所 空間もあるだろう

システムも改善すべき点が山ほどあるのも

実際現場をみてきた自分だからこそわかる。

 

 

でもはっきり言えること。

 

 

志が高く

愛にあふれる人たちもたくさんいるんってこと。

 

 

 

目の前の生徒のことを第一に考え

魂を削るほど日々全力で戦っている先生たちがいるってこと。

 

 

私は一年間で痛いほど感じていた。

 

 

 

 

3月末、人生初めてのクラスの解散日。

走馬燈のようにここに初めてたったあの日から今までを思い返した。

 

 

 

いろいろあったけど

自分の命を消さないで本当によかった

 

 

 

 

自分を追い詰める場所でしかなかった学校が

いつの間にか自分にとって大切な大切な居場所となり 

この場所があるからこそ生きている

 

 

 

 

この日を迎えることは寂しかったけど

自分を包んでくれていた

すべての人たちへの感謝の思いにあふれた1995年春だった。

 

 

 

 

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いよいよ最終回です。

付き合ってくれている皆さんにも感謝ですデレデレラブラブ

 

 

 

この1年3組。

私が結婚する直前、

20歳になったみんながお祝いの会を開いてくれました。

 

みんなでお酒を飲み乾杯生ビール

この時のみんながくれたお祝いの色紙と額に入った写真は宝物です。

 

 

とっティーすごい!!

とっティー平成オンナ版金八先生じゃん!!

 

 

いやいやとんでもございませんあせるあせる

私は9年連続でクラスをもたせて頂きましたが

私ってやれるじゃん!と調子こいてた5年目。

 

ガツンとやられました。

学級崩壊です。

 

 

生徒との相性 生徒同士の関係性

その他いろいろなものが絡みありクラスの空気は出来上がっていく。

 

ましてや自分がこのクラスいい!!と思っても

これはかなり自己満足の可能性が高い。

一人ひとり中学生はみんなそれぞれ抱えているものがあり

家庭 教室 部活・・・・

いろいろな顔があるのでひとくくりでどうこういえるものじゃない。

 

全体の勢い・雰囲気だけでモノをみていた自分が

強烈にやられた一年でした。

 

新卒のあの状態までには落ちませんでしたが

たぶん部活の顧問してなければ私は先生辞めてたな・・・・

 

 

学級崩壊させてしまった過去記事

興味があったら覗いてみてねニヤニヤあせる

 

 

ぱいれーつアンコール劇場

5年目

どうして学級崩壊!?

「夕べ」 2012年10月記事