【人生】23歳新米教師・うつ病からの脱出 | ぱいれーつかあさん☆彡羅針盤はマヤ暦!

【人生】23歳新米教師・うつ病からの脱出

おはようございます。

 

 

昨日までの3回 重かったですねぇあせるあせる

23歳 うつ病新米教師とっティー(1)

23歳 うつ病新米教師とっティー(2)

23歳 うつ病新米教師とっテイー(3)

 

 

今回はようやく 『復活への兆しキラキラキラキラキラキラ

一体何が!??

 

 

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ステージ4の手前。末期手前の胃ガン

 

食べることも歩くことも普通にできていた母が

胃・脾臓を全摘。

 

他小腸やら何やらあらゆる個所を切除。

 

主治医の話、ガンは全部取り除けたものの

食べ物が入らない。

よくなる兆しがみえず入院生活が続いていた。

 

 

 

 

私は学校が夏休みに入り

家の事情ということで部活の顧問になることもなく

研修以外は病院と家の往復のみ。

 

 

どうしたら辞められるか?

どうしたら逃げ出せるか??

その思考が頭から抜けない蒸し暑い夏が続いていた。

 

 

 

 

 

そんなある日

ふらーーーっと家の前にでると

懐かしい人の顔があった。

 

 

「とっティーちゃん どうしちゃったの!??

表情が全然違うわよ!!」

 

 

 

 

 

幼稚園の時から家族ぐるみで交流を続けていたTちゃんママだった。

 

 

 

Tちゃんのうちは街の商店街でスポーツ店を経営。

チャキチャキとしたモノをはっきりいう

愛情あふれるおばさんだった。

 

 

 

私の母とはとても気が合い

毎週のように長電話をする仲。

 

 

母を通し私の性格も

やってきたことも

ほぼ知り尽くしているようなそんな人。

 

 

 

 

『自由奔放

いつも元気に楽しく生きている次女とっティーちゃん音譜音譜

 

 

 

 

そんな次女の私の180度違う立ち姿。

 

 

 

 

私から病的な空気を察知したおばさんに

母がガンで入院中であること

先生になったけど

苦しくて苦しくてたまらないことを話した。

 

 

 

するとおばさんは

カウンセリング専門の病院を勧めてくれた。

 

どうやらTちゃんのお兄さん

つまり息子さんがやはり心の病でこの先生にお世話になっているという。

 

 

薬をいきなり渡すのではなく

とにかく話をじっくりきいてくれる貴重な先生だから

是非いくべきだ!

1時間1万円

ちょっとお値段はかかるけれど

きっと今のあなたにとって必要な場所よ!!

 

 

 

熱く私に伝えてくれた。

 

 

 

 

実は私も夏休み中

自分を何とかしたいという気持ちが出てきて

2か所精神病院を訪ねている。

 

 

だけど勇気がもてない

自分が心の病で病院にかかるなんて・・・・

 

重い扉を開けられず

勇気を持てず引き返してしまったのだ。

 

 

 

 

また電車からみえる精神病院に

『24時間いのちの電話』の垂れ幕。

 

2,3回は電話をかけたと思うが

『ほんとにやっているのか・・・?』

残念ながら繋がることはなかった。

 

 

 

 

 

予約をすぐに入れ

お盆あけに初めて先生の元を訪ねた

 

 

マンションの一角。

病院と思えない内装。

柔らかなスリッパが何足も。

 

 

患者同士が顔をあわせることなどなかったが

どうやら年代が近い女性が扉の奥にいたようだった。

 

 

 

 

自分だけじゃないんだ・・・

人生のどん底でもがいている人って・・・・

 

 

 

そんなことを思いつつ自分の診察時間。

 

 

 

 

優し気な

でもどこか頼りなさそうな先生

 

 

「そうですか・・・・」

「そうだったですか・・・・

苦しかったんですか・・・・つらかったんですね・・・・」

 

 

ひたすら私の話をきき

相槌をうつ。

 

 

息切れするほど一気に

今までの自分の生き方

そしてどん底の今をぶちまけた自分。

 

 

 

 

 

全くの他人

全くの赤の他人に自分を赤裸々に出し受け止めてもらう行為。

 

 

これは

この時の自分にとってとても新鮮で必要なことだった。

 

 

 

 

友達 仲間は情がある。

『そっかぁ・・・・でもそんなときもある!』

『辞めちゃもったいない!』

『石の上にも3年!頑張れ!!』

 

 

過去の自分

よき日の自分を知っているからこそのありがたい言葉なのに

それがかえって私を苦しめていた。

 

 

 

あの時の私じゃない

あの時の私じゃないんだ

 

 

 

 

職場の先輩たちももちろんそう

 

 

「頑張れ!」

「若さは最大の武器!!」

 

 

 

 

 

ありがたい言葉の数々

感謝しつくせない心遣いの数々なのに

ウツ状態の自分にはどうにもこうにも苦しい

 

 

 

 

その真逆

 

私のことなど欠片も知らない

ただひたすら話をきき相槌しか打たない目の前の精神科医。

 

 

 

 

『この人答えくれないのかよ!!』

 

 

 

どこか物足りなさを感じつつも

次の予約を夏休みラストの一週間に入れた。

 

 

 

 

この日まではなんとか生きよう・・・・

 

 

 

 

 

 

そして2回目のカウンセリング。

 

 

 

 

「とっティーさん・・・・」

 

 

 

時間半ばを過ぎた頃

相槌だけの先生が初めて口を開きはじめた。

 

 

「とっティーさん あなたはたまたま学校の先生というボタンを押してしまっただけです。

人生にはいくつでもボタンがある。

ボタンを押し続けることが苦しければ ちょっと一息ついて新しいボタンを押せばいい。

ただそれだけです。

 

学校が始まり

また自分を消したい!という願望に憑りつかれたら

それは

あなたが学校の先生というボタンから手を放す時ですよ・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっか・・・

ボタンから手を離してもいいんだ。

 

たくさんのボタンの中で

私はたまたま先生というボタンを押してしまっただけ・・・・

 

いつ辞めてもいいんだ・・・・

 

 

 

人生のボタンはいくらでもある。

たまたまそのボタンを押しただけ・・・

 

もしまた自分を消したいという思いに駆られたら

その時はボタンから手を放せばいい・・・

 

自分を消したいという思いに駆られたら

手を放せばいい・・・

 

 

 

そっか・・・・・

 

 

 

久しぶり

本当に久しぶりに空を見上げられた気がした。

 

 

 

いつ辞めてもいいんだ

いつ辞めてもいいんだ

また消えたくなったらやめればいいんだ

 

とりあえず学校には行ってみよう・・・

クラスのみんなの前に立ち

またあの苦しさが湧いてきたら辞めればいい

 

 

 

 

 

 

 

そうだ!

辞めよう!!!9月で辞めよう!!

 

でもどうせ辞めるんなら

どうせさよならするんなら

楽しい思い出をひとつでも作って辞めよう!!

 

 

 

 

先生として

初めてスイッチが入った瞬間だった。

 

 

 

 

永遠にそれが続くのかとさえ思えた

息を吸うことができない暗く重く長い長いトンネル。

 

そんなトンネルの遠く向こうから一筋の光が自分に差している 

 

 

 

 

抜けられるかも・・・・

 

 

 

 

自分のカラダから久しぶりに

本当に久しぶりに

ほんの少しだけれどチカラが湧いてくるのを感じた。

 

 

 

 

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「学校が始まったら是非また様子を聞かせてください」

 

3回目の予約を入れていたのに

『もう大丈夫!』

とその後は先生の元を訪ねることはありませんでした。

 

 

自分を取り戻し

いつか先生のところにご挨拶にいきたいと思いつつ

10年以上前に閉鎖されてしまったようで・・・。

 

 

本当にあの時はありがとうございました。

私 生きてますよーーーー!!! 

 

 

 

もし目の前に先生がいたた抱きついちゃうかも(笑)

 

 

 

 

私は自分のこの23歳の出来事をブログ化するのに

「うつ」という言葉を使ってよいのか考えました。

 

病名を告げられたわけでもないし

薬も飲んでいない。

 

プチウツ とでも記そうか?と思ったのですが

 

絶対にあの状態は ’プチ’なんて言葉で形容されるものじゃないってこと

私が一番感じているので プチは省きました。

 

 

私はたまたま幸運にも自分と相性のいい先生と出会い

意識のヒントをもらえたことで

憑き物がスッととれたように立ち上がることができた。

 

 

でも うつって人それぞれ。

症状も抱えている状況もみんな違うから

これはコレが有効!だなんて素人がいうこと自体危険な気がします。

 

 

私がセカオワを好きになったきっかけのこの曲

大いに共感できる 『銀河街の悪夢』

 

痛みを知るからこそ強く優しくなれる

 

 

昨日の記事の「ひまわり」同様

悲しみや絶望ということではなく

あの時立ち上がれた自分

生き続けてこられたこと

こうして生きていることへの感謝の涙に溢れ

鼻水でグチョグチョになってしまう私です。