宮本武蔵 その1武蔵塚 | 独創的未来の創造と発見

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   その1 武蔵塚


   一昨日武蔵塚公園に行ったときの写真です。


   剣を通して人生を探求続けた武蔵は、晩年の5年を熊本で過ごしました。
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  宮本武蔵のお墓です。正保2年(1645)5月19日、62歳でなくなっています。
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寛永17年(1640年)熊本城主細川忠利に客分として招かれ熊本に移る。7人扶持18石に合力米300石が支給され、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられ、家老以上の身分でなければ許可されない鷹狩りが許されるなど客分としては破格の待遇で迎えられる。 同じく客分の足利義輝遺児足利道鑑と共に忠利に従い山鹿温泉に招かれるなど重んじられている。翌年に忠利が急死したあとも2代藩主細川光尚によりこれまでと同じように毎年300石の合力米が支給され賓客として処遇された。『武公伝』は武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)の直話として「士水伝えて云、武公肥後にての門弟、太守はじめ長岡式部寄之、沢村宇右衛門友好、その他、御家中、御側、外様、及陪臣、軽士に至り千余人なり」とこぞって武蔵門下に入ったことを伝えている。この頃余暇に製作した画や工芸などの作品が今に伝えられている。(ウィキペディアより抜粋)

  【今日の一句】


   ■剣知るや武蔵が眠る兵(つわ)の宿


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