TOTSU DIARY ~とつダイアリー 凸日記~ -17ページ目

書評:『ヘーゲル 大人のなりかた』西研

書評まがいのものを書いてみよう。

(『知的複眼思考法』苅谷剛彦)によると、書評を書くことは読んだ本の内容を的確にとらえ表現するいい練習になるのだ。

今日はこれ。

ヘーゲル・大人のなりかた (NHKブックス)/西 研

哲学者・西研(にしけん)さんによる、ヘーゲル思想の批判的解説および、その強力な思想を現代社会へ活用するヒントを与えてくれる書、といった感じだろうか。

ヘーゲルと言えば、倫理の知識で言えばドイツ観念論の最期を飾る人で、キーワードは「弁証法」。弁証法っていうのは、ある命題(正=テーゼ)が立てられるとそれに矛盾する命題(反=アンチテーゼ)が存在し、それら2つは単純な対立を越え、その矛盾を克服したより高次な命題(合=ジンテーゼ)へと統合される(止揚=アウフヘーベン)という議論の進め方や法則自体のこと。ヘーゲルはその弁証法を世界のあらゆる事物や歴史に適応し、世界を発展の流れの中で説明した。
センター試験的にはこんな感じの理解で大体オッケーだよな。

もちろん本書がそんな倫理の授業レベルで語っているわけはない。むしろ「弁証法」っていう言葉自体は出てこなかったかもしれない。

まずヘーゲルの思想の下敷きとしてルソーの社会契約説、カントの道徳論、フランス革命の説明が行われる。
その後ヘーゲルの思想の形成・発展過程を順に追っていく。自由で独立した自己による社会を熱烈に支持した若きヘーゲル。歴史的事実に沿って自己が社会(国家権力・他者)と関わりながら自由の獲得へと発展していく過程、自己(私、私利私欲)と共同性(公、普遍的正義)はともに人間の本質であることを『精神の現象学』で示した哲学者ヘーゲル。自由の重要性を述べながらも国家統一の必要という現実を選択肢、立憲君主制や官僚による国家運営を説き、プロイセンの御用哲学者として後世激しく非難されることになる、『法権利の哲学』を著した晩年のヘーゲル。ヘーゲルの思想の変遷を追いながら、その当時のヘーゲルが答えようとした問いは何だったのか、その思想の偉大な点とともに問題点・欠点も明らかにしていく。
最期に、ヘーゲルが示した思想を、現代社会にも有効な道具として掲示し考察する。

流れとしてはこんな感じ。


本書の中では、歴史における意識の発展の過程としていくつもの人間の意識のあり方が語られるのだけど(例えば、私利私欲に走るなんて醜い!公共の正義のために生きることこそ価値がある!というような考え)、それがすごく自分のこれまで実感してきたことに近いものがあってびっくりする。そしてそれらの意識の限界も明らかにされ、そういう考え方に今まで自分がなんとなく腑に落ちずにいたことに妙に納得する。最終的に掲示された自己が目指すべき目的地みたいなものも、決して絶対的真理を標榜するものじゃなく、それでいて確かな普遍性に近づこうとするものであって、人が拠って立つべき共通の土台としてかなり有力なものだと思う。

ところどころで示される西研さんの人間理解についても、非常に感心した。<人間は本質的にエロス(欲望)を満たすために行動する>ということを言っていたが、実にもっともだ。


人間は「自分を認めてもらいたい」と同時に「社会の役にたちたい」という一見相反する欲求を本質的に持ち合わせていること、それゆえ私と公は決して対立し続けるものでなく統合され自由を実現しうるものであること、普遍的な真実というのは人によって考えが違うかもしれないが「みんなが納得しうる普遍性を求めること」は誰もが合意しうること。本書はそれを教えてくれる。

自分が生きる意味とは何だろうかと思ってしまう人は、この本を片手に考えてみるといいかもしれない。


P.S.
後期の小論文対策のための思考力強化、知識の補充も兼ねて最近は結構読書をしている。
読むのはだいぶ遅いけど、読破した日には書評を書いていくつもり。

「うぁ~、後期があるかどうかもわからないまま前期発表日まで勉強し続けるってつれぇ~!早く俺を自由にしてくれ!!」と心の叫びがこだましている。