人生100年 | totorovaさんのブログ

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戯曲、俳句、短歌
何かしら書きたい生き物です。


真夜中のアイス。






いけませんね~(´-ω-`)
しかし
アイスは夜中が旨いんだ
なぜか昼間はそんなに欲しない。


これは
ソルティーなキャラメル味で
うん、好きな味。
若い頃、通ったサーティワンでは
いつもキャラメルリボンを頼んでた。
キャラメルそのもの買うことはあまりない
けど
キャラメル味のアイスは好きなんだな。
真夏は少々ベタつく感じがするけど
秋のアイスにはちょうどいい感じ(^q^)













今年は寒くなるのが遅いけど
週末ちょっと風邪っぽくて
(そういう時でもアイスはうまし)
テレビの前で過ごしてしまいましたが

ぼーっとしたかったのに
まぁ忙しい忙しい
頭の中が大忙し!

ほぼNHKを見てた感じなんだけど
二夜連続でやってた
人生100年時代のやつ。

Eテレの再放送では
100分で名著、ブッダの涅槃経。

坂元裕二氏の密着取材。

日曜美術館のフェルメール。

いやもう
パンッパン。
脳天から煙。

ぼーっとするどころか
フル回転で頭痛が(苦笑)


「西郷どん」は見事に脱落し
「下町ロケット」はデジャヴにしか見えず
日曜日は観たいドラマがなくて
寂しいのですが
たまにはドラマ以外の番組について
ちょっと書いてみようかなと。



人生100年時代って
今年あたりから急に
やたら聞くようになったワードで
保険のCMとか
政府もよく使うようになったような。

確かに
100才がそんなに珍しくなくなった。
昔は100才のお年寄りというと
天然記念物みたいな感じだったもんなぁ。

でも
人生100年時代って言葉に
めでたさは感じない。
むしろヤバさしか。
年金がこんなにグラグラなのに
どうやって100年も生きていくのか
健康で100年なんてことはまずないから
病気や不具合を抱え
どうやって100才までしのぐのか
ただでさえのし掛かる老後の不安が
巨大化するだけ。

二夜とも
ため息しか出ませんでしたけど(-_-)
やっぱり考えさせられた。

終の住処の話。

高い有料老人ホームにも入れず
要介護度が低く特養にも入れず
そんな人達の受け皿だったはずの
サ高住=サービス付き高齢者向け住宅が今
困ったことになっている。
入居者の認知症が進み
安否確認サービス程度では済まなくなり
スタッフや経営を圧迫。
なので要介護度が低くて動き回れる人を避け
寝たまま、車椅子に座ったままの人を
積極的に入居させていた。

介護スタッフ男性の
「介護だけしていたいんですよ本当は…」
という言葉
車椅子で徘徊してしまう入居者の
「いつまでも生きてるのはおかしいですよ…何も悪いことしたわけじゃないけど」
という言葉
深く刺さる。

人が長く生きてきて
認知症になって
人のお世話にならなきゃならなくなり
お世話をしようとする人がいて
誰も悪くないのに
現実はとことん厳しい。



延命治療の話。

高齢者が人工透析をしてるうちに
認知症になり
本人が透析をしたいのかどうか
もはや意思表示ができないまま
長年透析が続いたり。

自宅で自然な最期を迎えるはずが
いざとなると家族が慌てて救急車を呼び
人工呼吸器を付けて命を長らえ
自然な最期とはかけ離れてしまう高齢者。

人工透析、人工呼吸器、胃ろう。
自然な死を拒否?回避?して
発達した医学がもたらしたものにより
高齢者の意志はないがしろにされている

というような描写だったけど
要は、そういう高齢者だらけになり
国の財政を圧迫している
っていう問題に行き着く訳で。

これから爆発的に増えるらしい
認知症や延命治療の患者を
とても支えきれないから
そろそろみんな
お迎えが来たらすんなり従うように
しようじゃありませんか

って言われてる気がした。

でもホント
それしかないんだろう。
縮小していく国でみんなして延命して
認知症や寝たきりの100才だらけ…
どうにもならんよね。

両親のことで
介護施設と病院と
ここ数年、めっちゃ関わったし
認知症や寝たきりの人達をいっぱい見てきたので
正直それは実感するところ。

体験からも
番組からも
自分自身が得た感想を
敢えて赤裸々に言えば

自分は死にどきを逃したくない

って思う。

頃合いってものは
あるんじゃないかと。

だけど
認知症になりたくてなる人はいない。
100才になりたくてなる人ばかりじゃない。
介護や医療の現場では
一生懸命なスタッフに頭が下がるばかり。
天使かと思うような人もいる。
尊い仕事に支えられてきたうちの両親。
それもまた確かな実感。

父は認知症によって昔の父ではなくなり
そのストレスか母は参ってしまい
倒れて寝たきりになった。
そう
両親がまさに認知症と寝たきり。
夫婦の最後の形としては
幸せとは言い難い。

父は昨年末に他界し
母は現在、胃ろうで栄養を摂っている。
延命治療…なのだろう。
ただ、うちの場合は
自宅療養していたわけでも
徐々に食べられなくなって胃ろうにしたわけでもなく
ある日突然だった。
ぶっ倒れた母を見て
認知症の父が救急車を呼んだ。
よく呼べたと思う。

ワタクシが病院に駆け付けた時には
当然ながら救命措置が行われていたし
普通に生活していた母を
「もう寿命なので自然に…」と思えるわけもなく
延命じゃなく回復しか頭に浮かばなかった。

さて、退院したらどうするか…とか
リハビリは…とか
今後の道のりを考えていた。

回復の道のりではないらしい
ということは
集中治療室から一般病棟へ移り
しばらくしてから徐々に
分かってきたことで

気づいた時には
もう鼻から管を入れて栄養を流されており
母は経管栄養の人になっていたのだった。

転院先で
唯一動く右手で経管を引き抜いてしまい
あまりに繰り返すので
胃ろう手術を強く勧められ
悩みに悩んで踏み切った。

なので胃ろうだけど
無理な延命治療をさせたくて付けた訳でもなく
その時の母にとって
少しでも不快でないようにと
考えた結果でしかない。

もちろん
本人が望むか?という
答えのない問いは今も毎日続いてる。

ただ
自然に逆らったムリヤリな延命を
家族として選んだ瞬間って
無かったよなぁ…と思う。

流れだった。
大変だ、回復させなきゃ
としか思ってなくて
え、回復しないの?ってなって
混乱の中、こうなった感じ。

番組では
司会のアナウンサーが70代のご両親に
最期はどうしたいかと聞いてみたら
意外に話が深まって
意志も確認できてとても良かったと言っていた。
元気なうちに、どうしたいか聞いておく
それが大事だと、どの専門家も言う。

うちは改まった話はしなかったけど
母なら寝たきり胃ろうは御免だと
間違いなく言っただろう。
てか、誰だってそうじゃないか?
「倒れて意志が示せなくなったら、胃ろうで延命してね。認知症になっても透析が必要ならしてね。心肺停止したら人工呼吸器つけて延命してね。絶対に長生きしたいから」
って言う人がどれぐらいいるだろう?
いないんじゃないか?

誰だって自然に逝きたいだろう。
回復の見込みがないなら。
けど
その見極めは簡単じゃないのだ。

番組で知ったのだけど
今は人工呼吸器や胃ろうの栄養を
中止することができるそうだ。
少し前までは
一度始めてしまったら
やめることは医者の罪になるみたいな話だった。
今は変わったのだそう。

けど
そんな重い選択あるか!?
中止=死だよ。
いくら本人が望まなそうな状態だからって
そろそろ栄養中止して下さいって
家族が決めるの?

よっぽど苦しんでるなら分かるが
静かに寝てる人の命を
ここまでねって線を引くことは
家族でも出来ないと思う。


死にどきを逃さずに
自然に死ねるか。

救急車を呼ばずに放っておけば
自然に死ねるのか。

本人がよっぽど明確に
救急車、延命、一切不要!と
回りに周知徹底しておかないとなぁ…

救命センターに運ばれてきたおじいさん
家族の希望で人工呼吸器になってた。
管を突っ込まれる映像は
かえってかわいそうに思えたが
何にもしなくていいです、と
その場で決断できる家族は少ないのかもなぁ。


死にどきを逃さずに逝く。
そのために
死を忌み嫌って遠ざけないように
いつも考えて過ごすべきなのかも。

だってみんなゴールはそこなんだしね。

樹木希林さんは
それが出来ていたような気がする。




ブッダの死因は
普通の食中毒だったそうだ。
弟子たちに
原因になった食べ物を出した人を責めるな
彼はいいことをしたのだから
と言ったそうな。
つまり、死は不幸ではないと…

私が偉い訳じゃない
私が見つけたものが尊いのだ
っていう…


無我。


難しいことだけど
欲からは離れていくべきかな
年を重ねるごとに。
できるのかな…

シンプルになっていきたいけれど。


100分で名著は数年前の再放送なので
涅槃経を朗読するブッダ役を
故・大杉漣さんがやっていた。
味わい深い…。
そして、とても似合ってた。



長くなってしもた(^^;

坂元裕二氏やフェルメールのことは
また書きます(・ω・)ノ