血縁者ではありませんが、44代元正天皇の側近にはもう一人橘諸兄(たちばなのもろえ)がいました。
年は長屋王と同じ、元正天皇より4歳下です。
橘諸兄は、橘三千代(県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ))と美努王(みぬおう)の息子です。初め葛城王(かつらぎおう)と名乗っていました。
橘三千代は後に藤原不比等と結婚します(結婚させられます?)から、橘諸兄は臣籍降下するとき藤原諸兄と名乗ることもできましたが、あえて母が43代元明天皇から下賜された橘の姓を名乗り、橘諸兄となります。
藤原不比等亡き後台頭してきた藤原4兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)のため、昇進が遅れますが、太政大臣長屋王の謀殺、藤原4兄弟等の天然痘による死去で、人不足になった朝堂で、元正上皇を支え奮闘します。最終的には左大臣を務めたと言われています。
降る雪の 白髪までに 大君に
仕え奉れば 貴くもあるか
橘諸兄が、元正上皇のことを詠んだ歌です。
橘諸兄は、万葉集(特に挽歌や、無念の死を迎えた人たちの歌を多く集めている1、2巻)の編者とも言われています。
万葉集は大友家持の編集と言われていますが、1、2巻は橘諸兄が自ら編集していたと言われています。
橘諸兄が、藤原仲麻呂などの讒言で辞職する際に、大友家持に託したではないかと言われています。
橘三千代が元正天皇の乳母を務めていたこともあり、元正天皇と橘諸兄とは年も近く幼馴染であったと思われます。
臣籍降下しているとはいえ、元は皇族であり、橘諸兄は美貌の氷高皇女を慕っていたかもしれません。
(インターネットより借用)
どうしても美貌の未婚の元正天皇のことを推理していると、長屋王や橘諸兄との接触を想像し、漫画『タッチ』の三角関係を想像してしまいます。
おわり