「すごい人と思われたい」の奥にあったもの

 

    

森の住人ことはです。
おかえりの森へようこそ。

ここは、日々の暮らしの中で、

「今、わたし何を感じてるんだろう」
「本当はどうしたいんだろう」

そんなふうに、ふと立ち止まったときに、
もう一度「わたし」に戻ってくるための

場所です。

食べることや呼吸すること。
人との関わりや、からだのこと。
ヒューマンデザインや心理学、

東洋の知恵など。

そのとき気になった

いろいろな視点を借りながら、
わたし自身の暮らしを眺めています。

 


少し前、朝起きられなくてオンラインの気功教室を休みました。

参加したかったんです…

 

でも、起きられなかった…

 

「あー、また参加できなかった……」

 

まずここで、ちょっと凹むショボーン

 

そのあと、教室のアーカイブを見ていましたパソコン

 

そこに映っている参加者のみなさんが、
自分の活動や肩書きを話している。

 

それを見ながら、なんだか胸のあたりがザワザワしてきました凝視タラー

 

 

みんな、ちゃんと自分の肩書きを持ってる。

 

じゃあ私があの場にいたら、なんて紹介するんだろう?

 

ヒューマンデザイン鑑定士?

……いや、好きだけど、今は鑑定してないし。

 

食養生?

……いやいや、人にアドバイスなんて全然できない滝汗

 

「じゃあ私は何?」

 

ただの一般主婦です。

 

もちろん、主婦が悪いわけではありません。


主婦だって立派な仕事ですキラキラ

 

それは本当にそう思ってる照れ

 

なのに、何かが引っかかる…

 

こんなにいろんなことを学んできたのに…


ヒューマンデザインも。
食養生も。
気功も。

心理学も。

 

興味を持つたびに勉強して、
自分でもいろいろ試してきた。

 

なのに、

「私はこれをしています」

と言えるものがない…

 

急に悔しくなりましたショボーン

恥ずかしい。

今まで何してきたん?

何がしたいん?

 

……はい!脳内反省会スタートです(笑)笑い泣き

 


 

最初は、

「私も何か肩書きが欲しいんだ」

と思いました。

 

でも、少し考えました…真顔

 

肩書きそのものが欲しいというより、

自分が学んできたことを、
誰かに渡せる形にしている人が羨ましかったのかも…

 

「私はこれをしています!」

と、迷わず言える人が羨ましかった。

 

私も本当は、学んだことを形にしたい。

誰かに届けてみたい。

 

好きなことを仕事にして、
ちゃんとお金も受け取れたら……

 

想像すると、ワクワクしますラブ

 

でも、その直後

「そんなうまくいくわけない」

が出てくる。

 

早っびっくりマーク

 

さらに、自分の商品やサービスを出すことを想像すると…

 

「ちゃんと価値を返さなきゃ」

「こんなのでお金もらっていいの?」

「高いと思われたらどうしよう」

「役に立たなかったら申し訳ない」

 

……全部出てくる。

 

今の仕事(パートタイマー)でお給料をいただくのとは、少し違う感覚があります。

 

仕事では、求められている内容があって、
それに沿って働いて、その対価をいただく。

 

でも、自分で作ったものは違う。

 

何を作るのかも自分。
何を伝えるのかも自分。
値段を決めるのも自分。

 

もし相手から、

「思っていたのと違いました」

と言われたら?

 

怖い滝汗

 

何が一番怖いんだろう…

 

またまた考えてみた…真顔

 

今回出てきた答えは

「能力がないと思われること」

でした。

 

「えっ、どこがダメだった?」

「勉強不足?」

「知識不足?」

「もっと勉強しなきゃ?」

また脳内反省会。

 

さらにさらに掘ってみたら…真顔

 

「大したことない人だったんだ」=「価値がない人」

と思われるのが嫌だった。

 

……あ。

私、すごい人と思われたいんだ。

 

ちょっと言うの恥ずかしいけど(笑)。

 

でも、ほんとにそうでした。

「ことはさん、すごい!」

「こんなことも知ってるんだ」

「こんなこともできるんだ」

「ことはさんに話すとすっきりする」

って言われたい。

 

 

一目置かれたい。

 

 

そうしたら、自分に自信が持てる。

「私の居場所はここ」

って感じられるような気がする。

 


 

ここまで考えて、

「あれ?」

と思いました真顔

 

私、人から認めてもらうことで、
自分の価値や居場所を確認しようとしてる?

 

 

よし!更に少し奥を見ていこう真顔

 


なんと「すごいと言われたい」の奥にはこれが発見されました!

 

「私を見て!」

 

すごい人だと思われたいというより、

私という人を、ちゃんと認識してほしい…だった

 

私が何を考えているのか。
どんなことを大事にしているのか。
何に興味を持って、何を感じているのか。

 

「ことはって、こういう人なんだね」

って、ちゃんと見つけてほしい!

 


 

私は、小学生の頃から、自分でいうのもなんですが、そこそこ勉強ができました。

上差しできたといっても中の上くらい(笑)

 

運動神経もそこそこ良くて、
特に足は速かった。

上差しでも球技は苦手でした(笑)

 

児童会会長、学級委員長、生徒会役員、部長なども…なぜか務めてきました。

 

でも、それはものすごく努力して勝ち取ったというより、
気づけばそういう位置にいた、という感じでした。

 

端から見ていわゆる「できる子」だったんだと思います。

 

だからいつの間にか、

「ことは=できる子」

というラベルが、外側にも、自分の中にもできていたのかもしれません。

 

そして、そのラベルより下に落ちるのが怖かったショボーン

 

高校受験のとき。

二学期の模試の結果が悪くて、一気に怖くなりましたガーン

 

公立高校を受ける予定だったけれど、
志望校のレベルを下げるのも嫌だった。

 

「あのことはが、そこを受けるんだ~」

と思われるのが恥ずかしかった。

上差し誰も口に出していないし、聞いてもいない。

勝手に自分で思い込んでいただけなんだけどねチーン

 

それなら私立を専願にして、
合格を確実にした方がいい。

当時はそんなふうに考えました。

 

今振り返ると、

高校に落ちること以上に、

「今まで“できる子”だった私が、実はそうでもない」

と友達にバレることが怖かったのかもしれません。

 

恥ずかしいタラー

見下されたくないタラー

軽く扱われたくないタラー

 

じゃあ「軽く扱われる」って、私にとって何なんだろう。

またまた考えてみた…真顔

 

話をちゃんと聞いてもらえないこと

 

では話をちゃんと聞いてもらえないってどういう感覚?とまたまた深堀り真顔

 

その奥にあったのが、

「私は大事にされていない」

という感覚。

 

 

たぶん私は、それを感じるのが嫌だったんだと思います。

 

だから、

できる私でいたかった。

一目置かれる私でいたかった。

すごいと思われる私でいたかった。

 

そうすれば、
ちゃんと話を聞いてもらえる。

ちゃんと見てもらえる。

大事にしてもらえる。

そして、

安心できる。

 


気功を休んだ日の、

「みんな肩書きがあるのに、私は何者なんだろう」

という小さなモヤモヤ。

 

そこからずいぶん遠くまで来てしまいました(笑)。

 

最初は、肩書きの話だと思っていたんです。

でも、掘ってみたら、

「私をちゃんと見てほしい」

「大事に扱ってほしい」

そして、

「安心したい」

というところに行き着きました。

 

もちろん、だからといって、

「肩書きなんていらない」

「人から認めてもらいたいなんて思っちゃダメ」

という話ではありません。

 

私だって褒められたら嬉しい。

「すごいね」と言われたら、たぶんニヤニヤします(笑)ニヤリ

 

それに、今まで学んできたことを、
誰かに渡せる形にしたいという気持ちも本物ですキラキラ

 

そこは消したくない!

 

ただ、

「面白いから形にしたい」

のと、

「すごい私だと思ってもらうために形にしたい」

のは、少し違うのかもしれない。

 

たぶん、両方混ざっているときもある。

 


 

おかえりの森では、

「自分で自分をととのえられる世界」

なんてことを言っています。

 

でも本人は、

人と比べて焦り、

肩書きがないと落ち込み、

「大したことない人だと思われたらどうしよう」と怯え、

「すごい人と思われたい」

なんて思っている。

 

……全然ととのってないじゃん、私(笑)笑い泣き

 

 

でも、

「ととのっている人」って、
いつも穏やかで、何にも揺れない人ではないのかもしれません。

 

揺れたときに、

「あ、私いまこんなこと思ってるんだ」

と気づく。

そして、また自分のところに戻ってくる。

 

それも「ととのえる」の一つなのかもしれない。

 

今度また、

誰かを見て焦ったり、

「もっとちゃんとしなきゃ」

「私も何かすごいことしなきゃ」

が始まったら、

少しだけ立ち止まってみようと思います。

 

「私は今、本当にこれをやりたいのかな?」

それとも、

「すごい私になって、安心したいのかな?」

って。

 

たぶん、どっちもある日もある。

まだよく分からない。

 

でも、しばらく暮らしの中で見てみたいと思います。

 


 

このブログには、
わたしが日々の中で感じたことや、
「これって、どういうことなんだろう」と立ち止まったことを綴っています。

 

答えが出る日もあれば、
よく分からないまま終わる日もあります。

 

それでも、ときどきこうして眺めてみる。

 

そんな記録です。

 

もしどこかに気になる言葉があったら、
一緒に少し立ち止まってみてもらえたらうれしいです。

 

今日もおかえりなさい、わたし。

 

ことはグリーンハート