自分を知ることは、ゴールじゃない。 

知った自分と、どう生きていくか。 

 

ずっと、「ありがとう」が自分の燃料だと思っていた。

 

誰かに喜んでもらえること、役に立てること、必要とされること。

そういうことが嬉しかった。だから私は、「人のために頑張れる人なんだ」と思っていた。

 実際、仕事でもそうだった。

誰かの役に立てた時は嬉しかったし、「ありがとう」と言われると、

また頑張ろうと思えた。だから長い間、それが私の原動力なんだと思っていた。 

 

でも最近、少し違う見方をするようになった。

 ありがとうって、嬉しい。

今でも嬉しいし、たぶんこれからも嬉しい。

でも、それを燃料にしすぎるのは、ちょっと危ないのかもしれない。

そんなことを思うようになった。

 

 なぜなら私は、「みんなのために頑張っている」と思っていたけれど、

その中には「認められたい私」もいたからだ。 

もちろん、認められたいと思うこと自体は悪いわけじゃない。

褒められたら嬉しいし、感謝されたら嬉しい。それは自然なことだと思う。

 

でも私は長い間、そこに気づいていなかった。

私は人のために頑張っている、そう思っていた。

でも本当は、認められたい私も一緒に頑張っていたんだと思う。

だから苦しくなることがあったのかもしれない。 

 

もっと役に立ちたい。もっと必要とされたい。もっと喜んでもらいたい。

そう思うこと自体は悪くない。

でも、それがいつの間にか、終わりのないものになっていた気がする。 


 

そして最近、もう一つ気づいたことがある。

 私が本当に怖かったのは、承認欲求そのものじゃなかった。

「役に立たない私は価値がない」と思い込んでしまうことだった。

 

今振り返ると、私はその考えをどこかで持っていた気がする。

だから仕事でうまくいかない時、誰かの期待に応えられない時、何もできない自分を感じた時、

必要以上に自分を責めていたのかもしれない。 

もちろん今でも、誰かに喜んでもらえたら嬉しいし、ありがとうと言われたら嬉しい。

それは変わらない。でも最近は、それだけじゃなくていいんじゃないか、とも思う。

 

 役に立てる時も、役に立てない時も、私は私。 

 

まだ完全にそう思えているわけじゃない。

でも少しずつ、そんなふうに考えられるようになってきた。

 自分を知るって、自分の強みを知ることだけじゃないんだなと思う。

 

自分が何を怖れているのか、どんな思い込みを持っているのか。

そんなことにも気づいていくことなのかもしれない。 

私はずっと、「ありがとう」を燃料にして生きてきたと思っていた。

でも今は、その燃料の中に、承認欲求も混ざっていたことに気づき始めている。

そしてそれは、悪いことではなくて、ただ人間らしいことなのかもしれない。

 

 自分を知ることは、ゴールではなく、始まりだった。

 知った自分とどう付き合い、今いる場所でどう活かしていくのか。 

私もまだ、その途中にいます。