タイトル:銀の匙

著者:中勘助

発行:岩波文庫

発行日:1935年11月30日

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽厘ひきだしから見つけた銀の匙。

伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を、中勘助(1885-1965)が自伝風に綴ったこの作品には、子ども自身の感情世界が素直に描きだされている。(解説・和辻哲郎)

 

 

著者・中勘助の自伝小説である本作は、

『吾輩は猫である』で有名な夏目漱石に推挙された作品である。

中勘助は高等学校時代に夏目漱石の講義を受けていたらしい。

 

中勘助は漱石に影響を受けた門下の一人とされる場合もあるようだが、

実際のところは『門下』とは少し印象が異なっているように思われる。

 

本書解説では、以下のように述べられている。

 

P225解説

漱石がこのように高くこの作品を評価したのは、この作品の独創性をだれよりも強く感じたからであろう。

実際この作品には先人の影響が全然認められない。

(省略)

言いかえれば「流行」の思想や物の見方には全然動かされなかった。

 

別の書籍では『孤高の作家』と紹介されたこともあるようで、

中勘助自体があまり他作家に影響を受けず、我が道を行くタイプだったようだ。

 

 

 

 

自叙伝といえば。

夏目漱石の『坊ちゃん』(1906年)

本作『銀の匙』(1912年)

太宰治の『思い出』(1933年)

と、いくつか読んだわけだが、どれも雰囲気が異なっていて面白い。

 

本作は幼少期を中心に描かれているので、

特にこの当時の遊びや生活について知れて新鮮だった。

 

112年前の子供の見ていた世界…。

本書にも聞きなれない遊びがたくさん出てきた。

昔のおもちゃ | 学習資料「昔のくらし」 | 金沢くらしの博物館 (kanazawa-museum.jp)

 

P67あたりで『うつし絵』というものが登場するのだが、

今で言うところのタトゥーシールみたいなものっぽい。

この時代にもあったのねぇ。

 

 

 

P73

あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう。

そのうちにも楽しいのは夕がたの遊びであった。

ことに夏のはじめなど日があかあかと夕ばえの雲になごりをとどめて暮れてゆくのをみながら もうじき帰らなければ とおもえば残り惜しくなって子供たちはいっそう遊びにふける。

ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは前髪をかきあげて汗ばんだ額に風をあてながら

「こんだなにして遊びましょう」

という。私も袂で顔をふきながら

「かーごめ かごめ をしましょう」

という。

 

『ちょんがくれ』ってなに…???

って調べたら、『かくれんぼ』のことらしい。

『おか鬼』は高鬼とか色鬼のような感じで、

一定時間、鬼が手を出せない場所がある鬼ごっこのこと。

 

100年も経つと言葉も随分と変わってしまって、なかなか難しいものがある…。

『かごめ』は小学生の時やったね。『はないちもんめ』とか。

あれって気がついたらクラスに遊びが広まっているけど、だれが広めているのだろう…。

 

 

 

 

 

P178

夏のはじめにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。

春の暮の霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて寒暖晴雨の常なく落ちつきのない季節がすぎ、天地はまったくわかわかしくさえざえしい初夏の領となる。

空は水のように澄み、日光はあふれ、すず風は吹きおち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な槙の木までが心からいつになくはれやかにみえる。

(省略)

すべてのものはみな若く楽しくいきいきとして、憎むべきものはひとつもない。

そんなときに私は小暗い槙の木の蔭に立って静かに静にくれてゆく遠山の色に見とれるのが好きであった。

 

本作が『独創的』と言われる所以はこういう描写だろうか、と思った。

子供のころ、何もかもが初めてできらきら輝いて眩しかったたくさんの出来事。

情景の描写が鮮やかで、一人称故に、

そのままその時の感動が投影されたような新鮮さがある。

省略してしまったが、このページの風景描写はとても素敵だった。

 

 

 

 

友人や気になる女性との出会いと別れが書かれ、

お別れの言葉を言えず一人涙を流すシーンが2回あり、非常に印象的だった。

1回目は幼少期。2回目は青年期、本作最後のシーン。

この当時の「男子たるもの」みたいな像に邪魔されたのだろうか。

「さようなら」とか「またどこかで」くらい、言っても良かろうに。ダメだったのだろうか。

 

 

 

 

 

タイトルになっている『銀の匙』だが、

母親の代わりに幼少期に相手をしてくれていた伯母さんとの思い出の品だ。

 

P7

私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽厘に昔からひとつの小箱がしまってある。

(省略)

(省略)小さいときの玩びであったこまこました物がいっぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。

(省略)

私は元来脾弱ひよわかったうえに生まれると間もなく大変な腫物できもので、母の形容によれば「松かさのように」頭から顔からいちめんふきでものがしたのでひきつづき東桂さんの世話にならなければならなかった。

(省略)

そのとき子供の小さな口へ薬をすくいいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだという話をきき、自分ではついぞ知らないことながらなんとなく懐かしくてはなしともなくなってしまった。

 

 

 

 

 

成長して、久しぶりに伯母さんに会いに行った主人公。

 

P186

「少少伺います」

といいながらずっとはいったらやっと気がついたらしくひょういと顔をあげた。

暗いのでよくは見えないが、老いさらばって見るかげもなく痩せこけてはいるが、それはたしかに叔母さんだった。

(省略)

「どなた様でいらっせるいなも」

といってしげしげとひとを見あげ見おろしsてたがなにはともあれ心やすい人にはちがいないと思ったらしく、立ちあがって奥の火鉢のそばにあった煎餅蒲団を仏壇のわきにしいて

「さあどうぞおあがりあすばいて」

と招じいれるように腰をかがめた。

そのあいだに私はようやく気をおちつけて笑いながら

「伯母さんわかりませんか。□□です」

といったら

(省略)

 

ここのシーン、ぐっと来た。

歳をとるとなぜ人は小さく縮んでしまうのだろうね…

亡くなる前の父方の祖母を思い出した。

 

 

 

静かで落ち着きのある美しい自叙伝だった。

夏目漱石ほど騒がしく破天荒ではなく、

太宰治ほど悲観的ではない。

美しかった。

 

 

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