アラ還からの提言⑸ | けいせつ基金 〜空の下でハミング♫〜

けいせつ基金 〜空の下でハミング♫〜

茨城県を犬殺処分ワーストから脱却させるために立ち上げた基金です

パピボラさんに、パピボラさんとして志願してくださった理由を伺いますと、色々なお答えがありますが


お世話する期間が4週間と、任期が限定されていたこと。これが非常に大きかったと感じます。


今回のパピボラさん7家族は、皆さん、犬が大好きな方ばかりで

「常々、できることがあれば、何かしたいと考えていた」

「しかし、なかなか踏み切れず、前に一歩出ることができなかった」 

とおっしゃいます。


今回、パピボラさんは、募集するとあっという間に集まりました。そういうお気持ちの方は、きっと他にもたくさんおられるのでしょう。


そんな皆さんと力を合わせれば、茨城県の犬を取り巻く環境は、きっと大きく改善する…そのような期待が膨らみます。


しかし、改めて言うまでもなく


動物愛護という活動は

尊い「命」と関わる活動です。


気まぐれで始めたり、途中で投げ出したりすることは、絶対にしてはいけない活動です。


「無責任に手を出すな」です。


今回のパピボラさん7家族の皆さんは、その「無責任に手を出すな」を、初めから強く認識されていました。

だからこそ、今まで一歩前に出ることができなかったのだとも言えると思います。


無責任に手を出すわけにはいかないから、手が出ない。


だから僕は、最初から「責任」の範囲を限定してみたらどうかと考えました。


パピボラさんには4週間という「任期」をまっとうしていただきます。

任期を完了すれば、任務完了です。


命ですから

「関わるのなら最後まで」

これは全くその通りです。

異論ありません。


僕がもしこれに異論を唱えるようものなら、頭がどうかしてると思われても無理はないと思います。


しかし「最後まで」って

「どこまで」のことか?


例えばこういう場合はどうでしょう?


親とはぐれてしまって泣いている、迷子の子どもがいたとします。人間の子どもです。


僕なら、子どもにまず声をかけます。

そして迷子かどうか確認します。


迷子とわかれば、すぐに場所を変えるのは、僕が誘拐犯みたいなことになるので(^^;;、まず、一緒にそばにいてあげることが先ですけど


インフォメーションセンターがあるような場所なら、そこまで一緒に行くし、近くに交番があれば、交番まで一緒に行きます。


そこまでです。

いいですよね?


ところが


これは決して批判ではなく

「現実がこうなっちゃってる」

という実態を表現したいだけなのですが


動物愛護の場合は


迷子の子ども(人間)に関わるのなら、ちゃんと責任を持って養子に迎え、家族として一緒に暮らす覚悟で、声をかけてください。


みたいなことに「なっちゃってる」と思うんです。


そう「なっちゃってる」と

どうなっちゃうか?


「力になってあげたいとは思ってるんだけど…」

と思ってる人たちが


見なかったことにして通り過ぎるしかできなくなっちゃうんじゃないかなぁ…と思うわけです。



今日から7月。

今年も猛暑なのかな。

これからの時期、熱中症には本当に気をつけないといけません。


もしかしたら街中で、具合が悪くなって座り込んでいる高齢者に遭遇することがあるしかもしれません。


そういう場合、皆さんは無視したりしませんよね?


「どうなさいましたか?具合が悪いのですか?」

と声をかけ、119番します。

救急車が到着するまでの間くらいは、そばにいてあげることでしょう。


でも、そこまでです。

そこまでしてくださったら十分です。


もし


具合の悪い高齢者に声をかける以上は、その高齢者を家族として病院に入院させ、退院後は自宅に療養するスペースを提供し、お葬式を出すまで面倒をみる覚悟が必要です


…ってことになったら


熱中症で倒れた高齢者が、街中に放置されるようなことになりそうだなぁ…と思うわけです。


誰もそんなことまで望んでないし

そこまでしなくても

「ここまでしてくれたら十分ありがたいです」

のラインがあると思うんです。


どの場合も言えることは

「途中」で投げ出したりしたらダメで、関わるなら「最後まで」やり遂げないといけない…ということ。


ただ

どこでやめたら「途中」で

どこまでやったら「最後まで」になるのか


ここの共通認識がおかしいと

全体がおかしくなってしまいますよね?


念のためもう一度書きますが、これは誰かに向かって批判しているのではなく、

「現状、そうなっちゃってるのではないでしょうか?」

ということを指摘したに過ぎず


動物愛護界全体に言えそうな、この問題のスカッした解決策を、偉そうに言ってるこの僕だって、見つけられないでいます。


それでも今回、このパピーケアプログラムに関して言えば、構想段階から、その問題を強く意識していました。


泣いている迷子や、具合が悪い高齢者に、一瞬も躊躇することなく、スッと手を差し伸べることができるのと同じように


パピーケアプログラムは、そんな形に少しでも近づけていければいいなと

そんな思いでいます。