ポップスターからクラブDJに

1990年代はVirginレコード傘下に自身のレーベル More Protein を持ち、音楽制作やプロデュースを開始。商業的成功を追求するものではなく、アンダーグラウンド・レーベルとして設立。

 

 

Virginレコード創立者リチャード・ブランソンの自伝にボーイ・ジョージの章があり、同社がここまで成長したのはCulture Clubの成功が大きかったことが記されている。ヘロイン中毒の時はブランソンも親身にサポートし、彼の再起を後押しした。

 

ポップミュージックの人気は低迷していたものの、ナイトクラブで注目され始めた。

 

 歌手活動

 

1989年:他のミュージシャンとの共同プロジェクトとして新たなバンド Jesus Loves Youを結成し、1991年にアルバムThe Martyr Mantrasをリリース。

仮名"アンジェラ・ダスト"(Angela Dust)で制作したが、殆どの国は彼の名を併記してリリース(バンド名の由来はアムステルダムの歓楽街から見えた教会のサイン)

 

アルバムは、彼のソウルフルなボーカルとエレクトロニック/ハウスミュージックの要素を融合した一貫性のあるサウンドと完成度の高さが評価された。

 

この頃、ハレ・クリシュナ運動家の友人の勧めでインドへ2度旅する。

"Bow Down Mister" はハレ・クリシュナの哲学に感銘を受けて制作し、UKシングルチャート27位、オーストラリアとドイツでトップ10位入りに。今もコンサートのレパートリーになっている。

 

ハレ・クリシュナへの関心は鮮やかな見た目がきっかけで、信仰はしていない。インドの旅では階級制度や宗教の矛盾に疑問を抱くこともあった。

 

 

1992年:IRA(北アイルランド解放戦線)や同性愛を扱ったイギリス映画「The Crying Game」(クライングゲーム)の主題歌を担当。ペット・ショップ・ボーイズがプロデュースし、イギリスで話題を呼んだ(1964年 ロック歌手Dave Berryの曲のカバー)。映画は多数の賞を受賞し、主題歌はUKシングルチャート22位、アメリカ15位、カナダ1位。

バックのシンセサイザーと物憂げな歌声が絶妙気づき

 

 

1993年:EMIレコードよりアルバム「At Worst...The Best Of Boy George And Culture Club」を発売。ソロを含めたこれまでのヒット曲を収録。

当時のドキュメンタリー 'The Boy Next Door'では、米EMIレコードの訪問やクエンティン・クリスプにCDの挿入メッセージを録音してもらう貴重なシーンがある。

*Quentin Crisp:スティングの "Englishman in New York"のモデルになったゲイカルチャーの先駆者、活動家、俳優、作家

 

 

1998年:カルチャー・クラブ再結成。米TV番組 "Behind the Music (VH1)"によるドキュメンタリー制作がきっかけ。短い活動期間だったが、アルバム「Don't Mind If I Do」をリリースし、"I just want to be loved" は十数年振りのヒット気づき

 

2002年:カルチャー・クラブの活動はすでに終わっていたが、1日限りの20th Anniversary Concertロイヤルアルバートホールで開催。同時期に公演していたミュージカル Taboo の衣装で登場したボーイ・ジョージにバンドメンバーは一瞬ひいたものの、観客とのエンゲージメントが高く、温かいステージになった。

 

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