クラブDJ

ボーイ・ジョージ曰く、イギリスの芸能界はスターダムから落ちた人にはシビアだったとのこと。

幸いにもナイトクラブで彼の音楽が受け入れられ、第2のキャリアとしてDJの道に。DJブースに立てば主導権を握れる喜びもあり、当初は「僕のテクニックはテクニックがないこと」と言っていたが、元ポップスターの兼業DJとしてはそれなりの地位を築き、有名になっていた。

 

 

 

1990年代後半:ロンドンの有名クラブ Ministry of Sound(ミニストリーオブサウンド)のレジデンスDJになり、コンピレーションアルバムをリリース。イギリスを拠点に世界中のクラブやVERSACEなどの有名ブランド、大手企業のイベントなどに呼ばれて活躍。現在もDJは続けている。

 

 その他(2000年初期)

 

2000年以降:ミュージカルTabooの制作を手掛け、2002年~2003年にロンドンとNYブロードウェイで公演(トニー賞4部門ノミネート)。演出・音楽制作のほか、リー・バウリー役を演じて芸能の幅を広げた。1980年代のニューロマンティックスの世界とボーイ・ジョージの半生を描いたストーリー。


2001年~2002年:自身のトーク番組 "One on One" を持ち、ハムステッドの自宅にゲストを呼んでインタビューするなどタレント業にも挑戦。

 

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この頃に制作されたドキュメンタリーは2本ほど。

・1993年 Omnibus: The Boy next door(BBC)

・2001年頃 Boy George Taboo(BBC Choice)

 

後に本人が語ったように、元薬物依存の人間がナイトクラブに身を置くのはリスクと表裏一体。2000年代前半はミュージカル Taboo のためニューヨークに拠点を移し、この頃のライフスタイルが悪影響を及ぼしたとも言われている。2008年3月に禁酒し、ドラッグからも足を洗った。

 

⇒写真でみる1990年代

 

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