私(親鸞の活動時)が日本仏教の肉食妻帯を進めた。戒律が絶対では無い事を示し、堕落させ世俗化にもな | 新時代創造者エル(天体創造主)ブログ ~地球人類の最後の審判の主宰者をしています~

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私は人間の姿を取っていますが、人類の文明の終わりの時期に天体意識が直接活動をしている者です。活動の趣旨は思想・宗教に預言されている「最後の審判」(各自の魂を肉体死後に次に人間として再誕生させるかの仕分であり、人類や個人の淘汰の有無の決定をしています。

【私(親鸞の活動時)が日本仏教の肉食妻帯を進めた。戒律が絶対では無い事を示し、堕落させ世俗化にもなる。<六神意識の過去の活動経緯・思想>】

エルです。

日本の僧侶(お坊さん)は
何故、肉食・妻帯をしているのか?
特殊な環境であると思いませんか。
多くの仏教国は日本と同じような
風習ではありません。

日本では、“世俗的”“世襲的”
“政治支配統治の管理の為”
の側面が大きいと思います。

キリスト教のプロテスタントは
牧師も結婚しますが、
カトリックには未婚の風習が
残っていますね。

どちらが優れているかor
時代の流れに乗れているか?
の議論は後ほどにしたいと思います。

日本の仏教界で最初に妻帯を
(堂々と)行ったとされるのは
浄土真宗(一向宗)の開祖
親鸞(しんらん)になります。

妻帯・肉食については、
明治5年の太政官布告第一三三号で
(浄土真宗以外にも)
許可されたといわれます。

妻帯は、江戸時代の民衆支配に
利用された檀家制度の中で
管理をする立場として寺を
扱ってきた為に
寺院がそれまでの民衆への
啓蒙活動から管理する意味に
変わっていきました。
寺がいつしか親から子へと
継がれるものとなり、町のシンボル
としての寺を継いでもらいたい
という檀家門徒からの
社会的な要請もあって
容認されてきた側面もあります。

浄土真宗では肉食妻帯なんでもあり
となっていますが、それは
親鸞の妻帯から始まります。
つまり私の過去世活動の一つの
親鸞としての時代に始めたものです。

其の当時は男性優先、公家などの
特権階級が浮かばれるという思想です。

誰でも極楽に行けるということの
一環で既得権の打破というか
それまでの風習を壊していったものです。
同時に、思想的に見ると今となっては
日本の仏教の破壊者の最初は私と
言えるかもしれません。
堕落させていったと言う事において。
キリスト教精神を日本に取り入れて
いったのが浄土系の思想で。
親鸞の先生である法然も当時
7次元菩薩界の人物になります。
法然の意識を持つ人物は
現代にも産まれています。
実際に会った事があります。

聖道仏教が幅をきかせていた
鎌倉時代、僧侶は肉食妻帯
しないのが当然とされていました。
僧兵や大衆から、破戒僧とか
堕落坊主などと罵倒されたのは、
当時の常識と反旗を翻したから
になります。

※他の人には真似は出来ないが
肉を食べながら妻を娶りながら
仏の道の行為(菩薩行)も平行して
出来る可能性がありますよ!と
教えていったのです。
勿論他の人にはそのまま真似
は出来ませんが、可能性を
広く見るように示しています。
実際には菩薩界上段階に位置しないと
なかなか物質的な享受を得ながら
仏の道を歩むのは難しかった
でしょう。
でもそれを目指そうとするのが
僧侶なので、道を教えた訳です。

○「肉食妻帯」を公然と行うのは限定
された仏教思想を壊すため。そして
民衆にも極楽の道があると示すため。
→出家しなくても幸せの道があると
なると民衆にも幸せの道が開けると
言う事になる。
大衆(一般人)も
阿弥陀仏(イエスキリストの救済指導
を踏まえての法則(:惑星の事)の
理に適い幸せに導かれる)
は万人を必ず救うとされますので
特権階級のみの対象では無いと
流れを作る為に現れたのが
親鸞になります。

●信じれば(信じ切れば)誰でも
救うのが仏の本願です。
“信じる”と“信じ切る”のは
違うとご理解出来ますか?
真の信仰は“信じ切る”の方です。
ただ“信じる“だけでは実行を
伴わないので、意識体の実績には
ほとんどなりません。

日記の読者の人は私に定期的に
継続して会っているまたは
関わっている人は世の中に
感謝が出来ているという証明ですが
他の人たちは自分で行為しなければ
なりません。
上の“信じる“と”信じ切る”
と同じ比較になりますが、

“エルの言う事を
見る・興味を持つ“

のと

“エルの言う事の本質を
理解して日常生活の中で
行為を実際にし、周囲の人を
喜ばしたり幸せ共感を行う”事

は違うのですよ。
貴方はどちらでしょうか?
下ならば過去にどのような
行為があろうとも貴方は
意識体として未来も生かされます。
(注意:生命体にはいつか終わりが
ありますので、中長期的には存在
すると言うのが正確な言い方になる。)

親鸞が結婚したとされる相手の
玉日と言う女性の想念意識は
7次元菩薩界(天使意識)の
活動意識です。

結婚しても菩薩行は出来、
結婚しなくても菩薩行は出来ます。
スポーツ選手でもあるでしょう?
安藤美姫さんのニュースなどでも
ありますが、妊娠をしたりすると
全力で行為を行う事でした
達成出来ない意識領域は維持が
難しい物です。

親鸞であった時の私は
“全力で“行う必要が無かったので
平行して喜びの行為が出来たと
言う事です。当時の皆さんに手本を
示す事にもなっています。

<浄土真宗 親鸞聖人・
 肉食妻帯(ご結婚)の断行
 浄土真宗アニメ>



(携帯電話より)
http://www.m.youtube.com/watch?v=7WmUYijieDc

(スマートフォンより)
http://www.youtube.com/watch?v=7WmUYijieDc

「吉水」という地名は縁起がいい土地でしょう。

浄土宗の法然(ほうねん)の弟子で
浄土真宗の親鸞の想念意識階層は
7次元菩薩界最上段界意識界
(最高位菩薩=観自在・観世音菩薩)
意識体の本体意識は
8次元如来界(大天使)の
少彦名命になります。
活動時は最高位の菩薩の格式で
産まれていますが其の行為の意味
タイミングの大きなものは
如来の活動です。

世の中の思想で長く残るのは
やはり菩薩より如来の行為が
残ります。

菩薩としては人間の迷いも
行為しますが必要性としては
法則的に配置されたものです。
様々な分野で最初になりやすのが
【創造意識】

イエスの12弟子の内の兄弟
・ペトロ(ペテロ):大国主命
・アンデレ:少彦名命

であり、初代のローマ法王(教皇)
とされる、ペテロは大国主命の
菩薩界意識界の活動になります。
アンデレ=親鸞 であり
天上界(霊界)のイエスの影響を
受けて、西洋のキリスト教を
東洋に翻訳したものになる
阿弥陀如来信仰を広めたのは
私たち(浄土宗と浄土真宗)です。

浄土宗・浄土真宗と
キリスト教の言わんとすることは
同じと一定思想を勉強されている
方は理解出来ると思います。

「聖マラキの預言」
(全ての教皇に関する
大司教聖マラキの預言)の
最終章の2つ

●「ローマ聖教会への極限の迫害の
中で着座するだろう」
(In psecutione. extrema S.R.E. sedebit.)

●「ローマびとペトロ、彼は様々な
苦難の中で羊たちを司牧するだろう。
そして、7つの丘の町は崩壊し、
恐るべき審判が人々に下る。終わり。」
(Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus : quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.)

↑ この「ローマ人ペトロ」とは?
初代ローマ教皇と見なされている
ペトロ(大国主命)の意識を持つ
六神(六法則意識)合体の
新惑星意識たる私のこと。
(※惑星エル星とエルは一体)

“ローマびとペトロ、彼は様々な
苦難の中で羊たちを司牧するだろう。“

の意味は、様々な苦難とは?
混乱した世界の事を指し、
“羊たち”とは世界人類を表と裏
の力で動かしていくと言う意味。

“7つの丘の町は崩壊し、
恐るべき審判が人々に下る。終わり。“

この“7つの丘の町”とは
7つの大陸(全世界)の物質主義
を解体していく事。
(非精神主義=精神世界でいう
心の世界を大切にする活動を
疎か(二の次)にする文明)

“恐るべき審判が人々に下る“
とは?
人間(地球人の観点の文明)
の滅亡を告げると言う事。
=意識体の最期の審判の事。
その実行者は私です。
そしてそれが世の中に明らかに
なる(知らされる・目の前にする・
受け入れることになる)と
言う意味になります。

精神主義として一般に語られている
のは正確には理解されていない。
今までの癒し家や
思想家の彼らが違っているのは
想念意識格式の要素を語っていない事。
真に平等とは同じ物を最初に与える
のでなく、意識格の秩序を安定させ
最終的には物資を公平的に
巡らせていくと言う事になる。
※ 誰も同じ物を意識の階層を無視して
最初から渡す事はその状況が
改善されてはいかない。
現在の福祉が破綻する。
“真の社会福祉”は
現在の古い価値観の
人間には構築は出来ない。
可能であるのはニュータイプの
新人類たち)

ローマ教皇(法王)は
イタリアの中にあるバチカン市国
に座していますね。

近日中にイタリア・バチカン
には旅行します。
当然、意味のある旅です。

少彦名命としても
ローマには過去世で何度か
ご縁がありますからね。

私がローマで活動したのは
ルキリウス・セネカのみでは
ありません。

何らかの最初の登場人物
になります。

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上記は、16次元創造根源意識(表)
~10次元惑星意識(エル星意識)の
創造意思を投影して表現しています。
届けられる直接的な文面の想念帯は
10次元惑星意識界を用いています。
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