【 世界の中心て

今この瞬間、この時点で

『意識』が向いているものなのではないか説】
 
 

これは、久々に自分の投稿をシェアしてもらいたくなった考え方。

意識が向いているものが、自分の『ある感情』ならその感情が世界の中心だし、

愛する人の『ある行動』ならその行動が世界の中心だし、

『ある痛み』に意識が向いていれば、その痛みが世界の中心だし、

『ビッグバンが起きた所』に意識が向いていれば、そこが世界の中心だし、

『過去のできごと』に意識が向いていれば、そこが世界の中心。

このように世界の中心の軸はいくらでもその瞬間に変わる。

そして、人の数だけ世界の中心はある。

過去のできごとから前に進むことができないとすれば、
 
その意識を別に向けることで、世界の中心が変わるのかと思った。



世界の中心は、
求心的な力があるから、
 
意識したものと世界の中心は引き寄せ合う。

未来に目標を置いて、それを意識すると、
 
その目標に近付く行動を自然と取り、
 
意識し続ければ目標に近い結果を生む。

だから目標はより具体的にすべきなんだ。

意識するには具体的な方が求心力がある。

そして、後悔などで、反対に過去に縛られている場合、
 
同じことをずっと意識していると、同じ場面を引き寄せることがある。

意識しているから、世界の中心に向かうため。

後悔した同じ場面に遭遇したり、似た場面を引き起こす。

そして、そこで克服できればいいが、
 
また力を発揮できないと同じ負の連鎖で、
 
また後悔を繰り返す。

そして、生きている時に『ある場面』に固執していて、
 
そこが世界の中心になると、それを克服するため、
 
生まれ変わっても、『ある場合』を作り出していく。

時間の流れは未来から降り注いで
 
過去に向かってどんどん流れていくので、
 
過去に世界の中心がある場合は、
 
時間が経てば経つほど、
 
自分と世界の中心との距離が大きくなっていく。

いくら世界の中心との求心力があっても、
 
過去に対して、世界の中心を置いていると、
 
意識だけがそこに向かっていき、
 
身体が置き去りになってしまう。

シンプルな方程式だけど、
 
いろんなことに当てはまっている気がする。
 
だから、意識をどこに置いて、
 
世界の中心をどこに設定しているかで、
 
どこに向かうかを瞬間瞬間に選んでいたということ。

 

 

 

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