【あらまし】

しばらく泣いていた源氏は、気持ちを静めて、

「ここに、じつに思わぬことがあって、あさましいと言うにもあまりある。このような時には、誦経、願立てがよかろうと、阿闍梨(あざり)にも参るように伝えたのだが、いかがした。」

源氏のなじるような言葉に、

「昨日、比叡山に戻りました。」

惟光は、源氏の泣き言がくだくだしくならないように、

「それにしても、不思議なことでございます。以前から、ご気分が悪かったのでございましょうか。」

「そのようなことはなかった。」

源氏はまた泣き出しました。その様が美しく、かわいらしく、惟光も思わずよよと泣きました。

 

「さ言へど」(とはいえ)、惟光が来たところで、源氏と同じ17歳の若者同士、何事も初めてのことばかりで、なにかいい手立てが思いつくわけでもなく、ともかくも、さらに人目につかぬ所に、まずは「この院を出(い)でおはしましね」、と源氏を促します。

 

 

【本文】

ややためらひて、「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと言ふにもあまりてなむある。

At length his tears let up.  "Something very, very strange has happened here, something horrible beyond words.  

 

かかるとみのことには、誦経(ずきやう)などをこそはすなれとて、そのことどももせさせむ、願なども立てさせむとて、阿闍梨ものせよ、と言ひやりつるは」、とのたまふに、

In a moment so dire I believe one chants the scriptures, so I have sent for your brother to do that to offer prayers."

 

「昨日、山へまかり上りにけり。まづ、いとめづらかなることにも侍るかな。かねて例ならず御心地ものせさせたまふことや侍りつらむ」

"He returned to the Mountain yesterday," Koremitsu replied.  "But all this is quite extraordinary.  Could it be that my lady was feeling unwell?"

 

「さることもなかりつ」とて泣きたまふさま、いとをかしげにらうたく、見たてまつる人もいと悲しくて、おのれもよよと泣きぬ。

"No, no, not at all."  Genji, weepint once more, looked so perfectly beautiful that Koremitsu, too, was overcome and dissolved in tears.

 

さ言へど、年うちねび、世の中のとある事としほじみぬる人こそ、もののをりふしは頼もしかりけれ、

After all, in this crisis their need was for someone mature, someone with rich experience of the world.

 

いづれもいづれも若きどちにて、言はむ方もなけれど、

They were too young really to know what to do.

 

「この院守などに聞かせむことは、いと便なかるべし。

"The steward here must not find out; that would be a disaster," Koremitsu said.

 

この人一人こそむつましくもあらめ、おのづからもの言ひ漏らしつべき眷属も立ちまじりたらむ。

"He can perhaps be trusted himself, but the retainers around him will spread the story.

 

まづこの院を出(い)でおはしましね」と言ふ。

My lord, you must leave this house immediately."

 

 

【語句の説明】

御心地ものせさせたまふことや侍りつらむ惟光がこの女に最高敬語を使っているのは、源氏の手前をおもんばかっているため。

 

The steward here must not find out; that would be a disaster:「この院の預かりは気がついておらぬでしょう。事は重大です。」

 

 

【余説】

本居宣長説によると、源氏はただ今17歳。乳母子である惟光も同じ年齢と考えられます。

兄の阿闍梨だったら、こういう場合の手立ては心得ていたかもしれませんが、惟光には、一刻も早く、密にこの院を出ることくらいしか思いつきません。

 

 

(岩波文庫(一)304~306ページ/タイラー英訳)