こんなタイミングだから。 | 豊永利行オフィシャルブログ「猫視眈々」Powered by Ameba

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自分が絶対に忘れないために、心にも余裕が出てきたので記しておこうと思う。

2010年5月10日、ブログのトップ画にもなっている、我が家で飼っていた黒猫の「りん」がこの世を去った。

大きな悪性腫瘍が脇の下に見つかり(人で言うところのガンのようなもの)、肺の中に転移した。

一度手術で脇の下の腫瘍は切除したものの、肺の中の腫瘍は取り除く事が難しく、もはや延命措置しか出来ないという診断だった。

安楽死を取るか、延命させるか問われたが、俺はその時、もう少し様子を見させてほしいと願い出た…。
心の中では、苦しい思いをせずに済むのなら、安楽死の方が…と思っていた筈なのに…口から出た言葉は、ただの俺のワガママだった…。

まだ、こいつに何もしてやれてない。
そんな思いだったんだろうなと、今は思う。

延命というのは、酸素ボックスを買い、その中で常に過ごすという処置だった(外に出ると、肺の機能が低下しているため、呼吸が出来ない)

2.3日の間は、当然酸素ボックスの中にずっといたがらないりんが外に出たがって出たがって大変だった…それが見ていてとても辛くて、苦しかった…。
少しでも幸せな人生を…と思い、俺は仕事が早く終わったり、休みの日には酸素ボックスから外に出してやり、代わりに酸素の出るチューブを常に口元に、りんを追いかけて当て続けるという方法で、そこから1週間ほどの間、俺はりんと常に行動を共にしていた。

そして、5.10。
徐々に衰弱し、もう自分から酸素ボックスから出たいとも言い出さなくなったりんを、俺は
「何をやってんだ俺は。俺が決断してやらなくちゃいけないんじゃないのか!?」
と、安楽死の方向を示唆しようと、決意していた時だった。

その報せは、俺が仕事を終えて電車の中にいた時だった。

おかんからのメール。

「つい先ほど、天国に逝きました。」

電車内にも関わらず、俺は涙を止める事が出来なかった。
慌てて帽子を深く被り、家はまだか、家はまだかと、初めて電車の中で何も出来ない自分を呪っていた。

家に着いたとき、彼女は箱の中で静かに息を引き取っていた。
昨日まで、とても辛そうに、苦しそうにしていたあのりんとは似ても似つかない程、彼女はキレイに眠っていた。


最期を、看取る事が出来なかった。


俺は泣いた。


周りにいる親や親戚がいようが関係なく、大声をあげてただただ泣いた。

「何もしてやれなかった。」

「ごめんな。ごめんな。」

このふたつの言葉しか叫んでいなかったと思う。

次の日も仕事があったにも関わらず、俺はどうしてもりんのそばにいたくて、箱のままベッドの上に共に行き、1人で朝まで泣き、会話をしていた。

次の日、動物の葬儀屋さんにお願いして、埋葬してもらった…。

涙はもう出なかった。

勿論、仕事は集中してやっていたが、今思うと、自分の中では上の空だったのかもしれない。
本当に、ごめんなさい。



とまぁ…皆さんにこれを報告しなければと思っていたのですが、心と気持ちの整理がまったくつかず、今になってしまったことお許し下さい。


彼女もきっと、天国で幸せにしていると思います。


最愛のりんへ…
お前は幸運の黒猫だったぞ。
本当に、ありがとう。

豊永利行より