「人生の生き方は,先覚からの呼びかけ――「本願」,それを受けて「ああ,そうだったか」とうなずく――「信心」,そこからひとりでにひらかれる真の人間らしさの境界――「往生」の三段階に尽くされる。」【『暮らしに生きる歎異抄』(亀井鑛著)】

《分ったようで,わかっていない。だからこの文章を採り上げている。この文をサポートする文章がつづいている》

「歴代の先師がたも,それぞれ第1章こそ真宗の本願念仏の結論であると,一様に言っておられます。ですからこの三つの要素で明かされる道理を私たちは十分に納得していなくてはなりません」と述べられている。そういって実例が挙げられている。どれも理解には欠かせない重要なカギに見えてきます。「何年か前のNHK教育テレビ『宗教の時間』で放送された『人間成就』という題の番組で」・・・「石川県能登の松扉哲夫先生にお出でいただき,私が聞き手をうけたまわって真宗の念仏のお話をしていただきました。」《以降はメモで》 七尾市での法話 松尾先生とあるお母さんとのお話。未亡人,町工場で働き時間がない中,中学生の息子と小学生の娘の弁当を作る余裕がなく毎朝カツオブシをかいてしょう油をまぶしご飯にふりかけて持たせたやっていた。三日目の朝子どもが「お母さん,今日のお弁当のおかず,何?」と聞いた。「ゆうべも残業で買い物ができなかったからカツオブシのふりかけよ」と答えると,「そんな弁当食べとうない」とちゃぶ台に用意してあった弁当箱を払いのけカバンをひったくるようにして飛び出して行ってしまった。・・・飛び散ったご飯粒とカツオブシ・・・・『何と聞き分けのない子だろう・・・・・・・・』私の苦労をあの子は分ってくれない』と。

《身近なお話の方が具体的でわかりやすいですね。ここまでの話だったら,子供の対応に向いてしまっていた自分であった》(ところがこれは法話の寓話だった・・・・)

私は自然,自分の中学一年の頃の同じ光景を思い出す。対応は違っていたが・・・・私の母親は私が小学4年の時夫を交通事故で失くし未亡人であった。子どもは高校生男子1名,中学生男子二人,そして末っ子のオレと4人の男子をかかえて賃労働などしたためしもない,「専業主婦」といっても昔の女性?農家の仕事も何もできないような箱入り娘であったようだ。町の項場で働くなど考えられない農村,里山育ち。弁当などオシャレなものはつくったことなどない。いつも白飯だけのブリキの弁当箱であった。私は途中一軒あるお店で10円いくらのマグロの佃煮を買って弁当のおかずにしていた。なんでも煮たものばかりで家から大根の煮っ転がし?何も入っていない。大根だけ。机の中が臭くなって恥ずかしかった。卵も牛乳もない,魚や肉など滅多に口にしたことなかった。マグロの角煮(佃煮)は最高にウマかった。今思えば現金ないのにどうして買えたのだろう。私はお袋を責めるなど全くその心がわからない。なぜ母親の法話事例なのだろうか。最初に紹介された事実談,中学から高校にかけて陸上に打ち込んでいた男子生徒の話題。高校生は立派なオトナ扱い。やはり寓話性が高い。

「子どもが可哀想?自分は情けない,力不足の親?」だろうか。しっかり働いている立派な母親ではないか。先覚からの呼びかけ――「本願」,それをうけて「ああ,そうだったか」とうなずく――「信心」,そこから開かれる真の人間らしさの境界――「往生」・・・に,どうして結び付けようか。全くの,私のような凡人はどうしていいか分からない。ひたすら念仏を唱えよか。いやそうではない。親鸞聖人は念じたときにもう在るというのだろうか。多念仏でなく,一念仏でもない。無念仏でもいい,とさえ仰る。自力本願は不可。他力本願たれ,と。しかし他力本願は勘違いしやすい?本願他力と申すのだろうか。凡人にはただ待つしかない,任せるしかないではないか。自力を頼るな?・・・じゃ,日和を待つしかないではないか。

「そうではない!」と叱られる,のだろう。

さて,ココは,一歩ゆずって・・・・「親子」の関係。「子」云々より,「親」の立ち居が肝腎だというらしい。親こそ変わらなくちゃ・・・ということだろうか。《これ以上何をしろというのだ? 私はココがまだまだ引っかかる》 

私は自分の母が,4人の育ちざかりの子どもを抱えて,どのように乗り切ったのか知らない。これは今思えば残念でならない。今は他界している。聞くにも聞けない。当時母は,普段寡黙だった母は,さらに口をつむんでガンバっていたにちがいない。それは苦に見せない,姿しか残らない。自分がビンボーを苦にしないでやってこれたのは,そのおかげだったのだと最近おもえるようになった。どうしてあの窮状を乗り越えたのだろう。何かに「祈る」しかなかったことは間違いないだろう。その姿を目にしたことはない。ましてや新興宗教などに染まった形跡はない。ただ,「内職」を始めていた。私も手伝った記憶が残る。100本線香花火のホチキス止め。単純な家庭内労働。それで一円だった。二十円のマグロ煮がどんなに高価だったか。ウチは天台宗だったが,法話などなかった。葬式のときにしか登場しない。でも部落?では集会所からおばあさん連中の「ナンマイダー」が聞えていた。何やってんだー―くらいで,眺めていた。拝んだって何になる?それが正直なところだった。当時それで「南無阿弥陀仏」のことかと知ったかもしれない。

だが,この本で述べられるようなスゴイことだとは知る由もない。そしていまだに分っていないのだ。ともあれ当時は,現世に何に効果があるか?と度外視していた。世間も学校も,そういうところに救いを求めなかった。救いどころか,自立,どうやって立派に自らを立てることが出来るかにかかっていた。学問で身を立てる,とか。日本戦後復帰。焼け跡から立ち上がる。それと高度経済成長がマッチした。その延長に原発(核)があった。

そういうわけで,↑に述べられている「納得していなくては」が気にかかる。充分に納得していない,否できないのだ。教義を捨て,佐渡から群馬,茨城へと関東に身を転じて非僧非俗を貫いた苦難の彷徨行を簡単には理解納得できない。妻帯,佐渡への配流と,関東~京都と,一カ所にとどまらない性質は,本質的,人格的な本人の性質によるものなのか・・・とも考え及んでいる。

本願~信心~往生の三要素がすべてだというが・・・・唯一の教えらしい教えは・・・・第一章「罪悪深重の自覚」の文言のみ・・・

『一つ,弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて,往生をばとぐるなりと信じて,念仏もうさんとおもいたつ心のおこるとき,すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり。弥陀の本願には,老少・善悪の人をえらばれず。ただ信心を要とすと知るべし。そのゆえは,罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには,他の善も要にあらず,念仏にまさるべき善なきがゆえに。悪をもおそるべからず,弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々。』 ただし,ここには念仏がなぜ最高の善なのかは記されていない。信心の問題にまた収斂されてしまう・・・何に依るのがいいかはわからない。「ニチレン」といって批判するのでもなく,キリスト絶対一神教の不完全性をただ糾弾するだけでは納得いかない。自分におまかせ・・・これは納得。醒めた境界。阿弥陀仏じゃないとだめなのか。多くの人が歎異抄を認め親鸞聖人を崇める。でも他の先覚高僧の書を紐どいている。それでいて邪見邪宗と仲違いする。そういう宗教による対立を憂慮し・・・法華経も阿弥陀経も,観音経も・・・どれか一つか全部か・・・・「ノー,ノー」とまたいわれそうだ・・・・徘徊するばかり。欲との闘いが続いている。涅槃寂静? 浄土も,地獄も 観念が生み出している。現実にあるわけではない。でもなんで死んだ人を供養するの?墓はなくてもよいという。死んだら魚や鳥のエサにしてくれと先覚たちは遺言していった。それでも生者は死者をおもう。跡をふりかえる。これを供養というのかしら。合掌 p.s. 昨日,近くのお寺の門前の地蔵菩薩を拝見した。そこには行年19と22の刻印があった。二体の菩薩像なのだ。お二人の若者が亡くなったのは決して昔のことではない。最近死亡したとしたら何だろう?といぶかり,そして何より心が締め付けられた。畏怖された。

教義ではこの供養行為をどう見るか。人間の情実を親鸞聖人ならどう見るだろうか。歎異抄は法然師匠の教えだとも仰っていないか。弟子を持たず,師をどこまでも敬愛してやまなかった・・・もし自分の言葉はそのまま法然,仏の言葉だというのでは・・・・・・感謝合掌