一昨日は「新選組史 再考 第29回 池田屋事件1」のオンラインでした。
ご参加の皆さま、ありがとうございました
23日(日)にも行いますので、ご興味のございます方はご連絡下さいませ。
さて、本題。
高幡不動尊所蔵、「近年之戦争写本」の続きです。
前回はこちら
前回書いたように高幡不動尊第29世賢賀和上による写本「近年之戦争」は
明治3年に書かれたもの(2022年初公開)と
推定・明治15年と推定・明治16年(今回初公開)の3種類あります。
明治3年版は、添え書きに「明治三年庚午歳次林鐘孟夏二十有二日」
と書かれていることからみて、書写年に間違いはなさそうです。
先日も書いたように、土方隼人(作助)が持参したものの書写と記述されています。
内題の「近来戦争之扣」も土方家と同じなので、それも間違いはないでしょう。
佐藤家や土方家の写本同様、近藤梟首図があったり漢詩和歌発句集があったり
一般にいわれる「立川主税戦争日記」のみ、ではありません。
(詳細に知りたい方は京都龍馬会「近似新聞47~49号」に、藤井和夫氏が書かれておりますので、そちらをご参照下さい)
その添え書き部分に、興味深いことが書かれておりました。
それが立川主税の出自に関して、です。
金剛寺第二十九世賢雅和上添書
(文意)
「この書は、土方歳三に附いていた立川主税が、この度箱館で官軍に降伏、その後御赦免を仰付られ帰国した。立川主税は元禅僧で、師弟共に帰俗して、 甲州勝沼で土方歳三に属した。(以下割注) 生国は播磨で、姫路藩家老の息子、出家して勝沼の寺で寺主の職に在った。姫路城落城を聞いて奮立ち、帰俗した。「師弟」の内の弟子の方である。」
(高幡不動尊展示解説より)
立川は「降伏人生国姓名取調覚書(秋田県公文書館蔵)」の記載から
「筑前国宗像郡鐘崎浦(福岡藩領)町人喜六伜」とされております。
それが姫路の家老の息子だった
賢雅和上がどこからこの情報を得て、この添書を認めたのかはわかりません。
ただ、文章の流れからいえば
土方隼人(作助)が立川本人から聞き、それを賢賀和上に伝えたのかなぁ…
とも思われなくもない
実際のところは、どうなのでしょうね。
※ 高幡不動尊展示の原本より添書部分を翻刻してみました。
此書土方歳三江附居立川主税今般凾舘而官軍江降伏 其後御赦免被 仰付帰国相成 立川氏ハ元禅僧師弟共帰俗 甲州勝沼而土方ニ屬ス 生国ハ播州 実ハ姫路矦御家老息出家勝沼寺主ス 播州落城ト聞テ憤発皈俗ス其弟子ナリ 外ニ軍艦圖一冊有之
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令和6年水無月17日 汐海 珠里