明日は「新選組史 再考 第29回 池田屋事件1」のオンラインです。

ご参加の皆さま、宜しくお願い致しますお願い

 

さて、本題。

タイトルの「近年之戦争」は、いわゆる「立川主税戦争日記」のこと。

千代ヶ岡陣屋が落ちた明治2年5月16日、土方戦死から5日後のその日

安富才助は手紙を認め、立川を使者として多摩へと向かわせます。

が、結局立川は新政府軍に降伏することになります。

赦免後に土方の郷里を訪れるのですが、その時に持参したと言われます。

(あくまでも「持参」したもので、立川が「書いた」ものとは限らない?

原本は所在不明ですが、その写本が佐藤家・土方家などに残されています。

 

現在史料集などに記載されているのは、佐藤家所蔵のもの。

表紙に「新撰組役員之者所持日記 説夢録」と題される写本中に

特に表題はなく綴られたもので、初めて「続・新選組隊士列伝」に

全文掲載された際、「立川主税戦争日記」と名付けられたとのこと。

藤井和夫氏によれば、土方家所蔵のものは表紙に「近来戦争之扣」とあり

さらに後に付けられた表紙がある、とのことです。

 

佐藤家所蔵の写本は、彦五郎の長男・俊宜が書写したといわれ

「神奈川県下」と刷り込まれた罫紙に書かれています。

日野宿一帯が神奈川県に属したのは、明治4年11月からとのこと等から

この写本は明治5年頃と推測されます。

つまり立川の来訪も明治5年頃ではないだろうか、と思われてきました。

 

が、2022年に高幡不動尊第29世賢賀和上による写本が初公開。

タイトルは「近年之戦争」内題は「近来戦争之扣」で

明治3年に土方隼人(作助)が持参した書の写本であることがわかりました。

 

つまり立川の日野来訪は、明治3年だったのではないのかと思われます。

もしかしたら佐藤家に現在残っている写本は

当初の写しを明治5年頃に清書?したもの、かもしれませんね。

 

実は今回、この話題を取り上げようと思ったのは

高幡不動尊所蔵の写本が、これひとつのみではなく

明治15年版・明治16年版という3冊が残っていることが判明したからです。

 

高幡不動尊所蔵の他の2冊の写本が、現在初公開中とのこと。

幕末研究家で三十一人会副会長の清水隆さまが

今年の「土方歳三忌」に参加される藤堂利寿さまに

「高幡不動に行くのなら見てきて欲しい」と依頼されたとか。

それをご覧になった藤堂さまが、書かれている内容に驚いて

歳三忌にてご挨拶の際に、参加していた皆さまにご紹介したのです。

 

私自身は今年の歳三忌には参加していませんでしたが

他から情報を頂き、藤堂さまからもお電話にて詳細にお聞きして

これは一回ちゃんと見に行かねば! 

と、確認しに行って参りました。

そこには(もちろん真偽は別として)「え?」と思うことや

三冊の写本にも微妙に異なっていることが多々ありました。

そして歳様の最期についての記述も。。。

(あくまでも写本の記述として、です)

 

もうすぐ歳様の祥月命日。

先日の対面講座の時に少しご紹介したのですが

自分自身の備忘録として、ブログ記事にまとめておこうと思います。

 

新選組史 再考 講座

※ 6月より対面講座の会場が変わります(渋谷駅近く)

 

6月のテーマ

 

新選組史再考と両雄刀剣談


※ ご希望の方はご連絡下さいませ。

 

 

   令和6年水無月14日  汐海 珠里