先日、もうだいぶ以前に知人から頂いた本をパラパラと読み直していたのですが…
もともとの「設定」が、著者の「仮説」なんです。
もうそこは前書きに 「仮説」であり、「想い描いた書」である旨をしっかりとお書きになっているので、細かいこと云々言うつもりは、まったくもってございません。
天然理心流の興りが「幕命」であろうと
沢忠助が研師であろうと
天然理心流が夜盗を捕らえて密かに試し斬りをやろうが
隊士の誰がどの銘刀を持っていても
板倉公が箱館総攻撃の日まで五稜郭にいらっしゃっても
いいんですよ、そういう「設定」なんだから。
二股口の戦いで、例によって滝川さんが敵兵の顔の皮を剥ぎ… という「蛮行」をしたことになっているのは胸が痛みましたけど
ただね、この本、誤字というか、誤記というか、誤植というか…
そういうのがとても多いんです
いや、確かに仕方のないことは多々あります。
どんなに自分が一生懸命に何度も読み直しても、どうしてもそういったことはおこります。
実際に自著でも入念にチェックしたつもりなのに、抜けていた箇所もありましたからね
(「新選組史再考と両雄刀剣談」の正誤表 → ☆)
だけどちょっと気になり過ぎになるくらいに、気になる箇所が多い。
「試衛館」を「試衛場」ときっちり表記するくらいに、「こだわり」がある著書だけに、メッチャ気になってしまいました
一例を挙げるとすれば
・古高のフリガナを「こたか」
・渋沢成一郎を渋沢「兼太郎」
・宮川信吉のフリガナを「しんきち」
・小島政孝さんを小島「正孝」
・禁門の変を「金門」の変
あとこれは何とも言えないのですが、山﨑亟の名前は2004年に「取調日記」が公開されてからは、「丞」が一般的になっているとの認識があったのですが、「蒸」が使われていてちょっとビックリしました。
(この本は2009年)
古高さんのフリガナは、後に出てきたのには「ふるたか」となっておりましたから、単に誤記だったのかなぁとも思いましたが、渋沢さんのお名前には「兼太郎って誰?」と思わず彰義隊関連やっている方にメッセージ送っちゃいました…
ただね、本篇の各章に【追録】として主に日本刀に関しての解説があるのです。
これは物語の「設定」ではなく、「事実」として書かれているものと思われます。
私も刀じたいはそんなに詳しいわけではないので、色々と参考に読んでおりました。
そして最終章に【追録一 初代康継】があって、もちろん現・佐藤家蔵の康継にも触れられていました。
何度もブログにも書いてきましたから、今さらくどくは申しませんが、山田在吉と吉豊の裁断銘が入っています。
この二人は兄弟なのですが、
「在吉は吉豊の次男」と書かれていて、になってしまったのです
さらに【追録弐 お庭番】のところに、「沢忠助の祖は御庭番であった」と続いていて、これも典拠がわかりません。
前記しましたが、本編はいいのです。
「お話」ですから。「設定」ですから。
(ちなみにその本編では、吉豊・在吉兄弟の末弟・吉亮は、彰義隊に入った、とあり、吉豊さんが勇さんと歳様に康継をあげたことになっております)
けれど、【追録】というところまで怪しくなってきたり、これだけ誤字だか誤記だか誤植だかが多いと、なんとなく他のことも胡散臭くなってきてしまう
残念だな~、もったいないな~、と思うのです。
様々な 「日本刀」 を持ってきて、その特性を土方歳三が蝦夷地に立った時からその死までの間に、彼に語らせる。
非常に面白い「試み」だし、「歴史」とは違った着眼点もあると思うのに、書かれていることの全部が信じられなくなってしまう。
誤字や誤植かもと思ったものですら、そうではなく、もしかしたらこの著者が本当にそう思ってるのかしら?と
文章で表現するのって難しいし
自分の考えをストレートに相手に伝えるのって、難しい。
伝わっているのかさえも、わからない場合も多々あります。
本の内容じたいとは違うことですが、そんなことを感じました。
私も気を付けよう。。。
2021年2月7日 汐海 珠里