箱館新選組和歌集」の続きです キラキラ

 (長くなってすみません。記録用も兼ねているので、飽きた方はパスしてね ウインク

 

十五首目はこちら。

 

 

   木村重栄

谷川の岸にもみつる蔦かづら そこにも秋の色は見へけり

 

 

名前の下に()書きで書かれる解説には「桑名藩士・木村忠次郎 二百石 弁天台場で降伏」とあります。

実は木村さん、藩主であった松平定敬さんと共に北越を転戦するのですが、途中で長瀬清蔵さんと共に使者に出て帰路を新政府軍に遮られてしまいます。

旧幕府軍が仙台から蝦夷地に渡航したのち、仙台城下で隠れ住んでいたところ、庄内から来た高木剛次郎・山脇準太郎さんと合流。

また石巻で土田外真記さんと出会います。

彼らは明治2年4月14日、見国隊と共に蝦夷に来るのです。

 

 

 

 

第一次、二股口戦の勝利の日でしたね。

ただ、その時にはすでに定敬さんは箱館を脱出したあと。

桑名藩士たちは歳様に面会、そして新選組に加入することになりました。

 

 

この時に一緒に加入した山脇さんは、二十一首目に書いています。

 

十五 ~ 十八首目

 

粕谷光幸(徳川家家臣・粕谷小次郎 弁天台場で降伏)

神戸貞廉(新選組の変名・神戸四郎 弁天台場で降伏)

水谷正道(桑名藩徒士・水谷藤七 弁天台場で降伏)

  

※先日と同様、もちろん名前の横に和歌が書かれています。

  そして()書きは、霊山歴史館・木村幸比古氏の解説です。

 

 

粕谷さんは回天隊を経て、一昨日書いた青山さんと共に新選組に加入したと思われます。

神戸さんは解説には書かれていませんが、元桑名藩士・高木剛次郎さん。

そう先に書いた見国隊と共に蝦夷に来たおひとり。

引用記事に書いてある史料、「戊辰役に於ける桑名藩高木貞作の行動」の高木貞作さんですね。

水谷さんも桑名藩の人ですが、この方は普通に(笑) 仙台で新選組に入隊した人です。

 

十九首目

 

 

   佐久間知成

陸奥に日数ふきはや秋の来て さびしきあめをはらせ山かぜ

 

 

解説には「新選組隊士・佐久間顕助ヵ 弁天台場で降伏」と書かれます。

七首目にも佐久間姓がいたと、以前の記事で書きましたね。

顕助さんは慶応2年冬頃?の加入者。

「新撰組人名録」に、「仮同志」として名前があります。

慶応3年6月の「幕臣取立名簿」でも同様。

「同志連名記」によれば「平同士」になり、鳥羽伏見の戦いののちに一緒に江戸にも引揚げてきているんだけど…

その後、伯父である戸村静一郎さんが結成した回天隊に参加。

新選組を離れるのですね。

で、間は割愛しますが、この前も記載した青山次郎さんたちと一緒に新選組に再加入したみたい。

なかなか複雑…

よく、「京都時代の隊士で箱館まで行った人は…」と語られることがあるじゃないですか。

その中に、入るのか? 入らないのか?うーん

 

 

   令和2年広寒(こうかん)26日  汐海 珠里