昨日の続きです
150年前の本日は、明治2年4月14日。
この日、ついに二股の箱館軍は、新政府軍を撤退させます
二股方面にては土方歳三、衝鋒隊、伝習歩兵隊、総二百三十余人を以て、前日第三時より今朝第七時迄凡十七時間の烈闘、我兵益々精神を励して防戦す。因て敵は空しく死傷のみ多して、遂に抜くこと能はず。怯れて退かんとす。我兵急に追ひ、撃て之れを散る。捕獲頗る有り。
(函館戦史)
十四日附二股詰諸人ホルタン、よりブリユネ宛書簡翻訳写左之通
一、十六時之間戦ひ、今朝第六時敵勢立退申候、此立退し訳は、味方弾薬乏しく、敵も亦同様たればなり
一、衝鋒隊薄手負五人、下等士官一人、尻より脚を打抜れたり、然れとも歩行を得べし
一、伝習隊下等士官一人戦死、手負一人
一、敵之死傷相分らす、然とも我は胸壁あり、彼はなきを以て其死傷推量すへし
味方之働き驚く可し、一人にてもなまけるものなし
味方ノ人、其顔を見るに、火薬の粉にて黒くなり、恰も悪党に似たり
四月十四日六時十五分
二股にて
ホ ル タ ン
ブリユーネ君
(苟生日記)
ホルタン(フォルタン)さん、敵が撤退してすぐの書状ですね。
現場では、戦いは今朝「七時」までとの記述も多々。
そのあたりは体感認識違いの誤差範囲。
どちらにせよ、16~17時間にも及ぶ戦いでした
衝鋒隊の下士官がお尻から脚を射抜かれて、なおも歩行できたって、なんか凄い
顔が真っ黒だったとここにも書かれていますが、「悪党に似たり」って。。。
それにしても箱館軍の兵士たちの働きに、驚いておりますね。
歳様ももちろんでしょうが、やはり大野さんの力が凄いと思いますよ
そしてまた本日、仙台の見国隊が英国船で砂原に到着いたしました。
同十四日、仙藩二ノ関源二、見国隊四百余人を率ひ英国商艦〈エーレンバック〉に乗し、蝦夷地佐原港〈函館をへる七リ余也〉脱し来る。我軍大いに力を得る。
然るに我藩人共に来ると告る者あり。皆大に悦。
(戊辰戦争見聞略記)
四月八日仙台の脱走兵、英の商船を雇ひて砂原に着せり,其人数凡四百八十人并に旧幕臣両三名なり、
(南柯紀行)
大鳥さんが書く4月8日は、見国隊が仙台を発した日です。
英国船エーレンブラック号に乗じて砂原に到着しました。
「戊辰戦争見聞略記」にあるように、この時桑名藩士5名が同行しています。
大鳥さんの記すところの「旧幕臣」のことでしょうか。
石井さんはこの翌日、森駅まで彼らを出迎えに馬を走らせています
このうちの4名が新選組に入隊することになりますが、それはもうちょっとだけ先になります
令和元年5月25日 汐海 珠里