昨日の土曜日。
久しぶりに半日の都内史跡巡りと、少人数オフ会を楽しみました。
(コロナ対策を厳重にしながらね!)
お会いいたしました皆さま、ありがとうございました
さて本題。
「箱館新選組和歌集」の続き
先日の「藤 武興」に、コメントを頂きました
そのことについては後日、他の句の時にまたご紹介しますね。
五首目に書かれているのが、森さん。
森 陳明
仰見む 常盤の山の松ひと木 はなや紅葉にあらそわぬいろ
言うまでもありませんが、「陳明」は諱。
通称は森弥一左衛門。
桑名藩士・小河内九左衛門内殷秋(ただあき)さんの長男として生まれましたが、後に伯父の森家を継ぎ、300石の上士となりました。
元治元年、藩主・松平定敬さんが京都所司代就任に伴い、公用人に抜擢。
桑名藩の在京重役の中で、一番の実力者ともいわれておりました。
明治元年9月に他の桑名藩士たちと共に新選組入隊の時に「常吉」と名乗ります。
箱館戦争に参戦、新選組頭取改役。
津軽で謹慎後に東京へ送られ、11月に深川入船町の旧桑名藩邸に入り、藩主・定敬の代わりに切腹しました。
深川の霊厳寺、桑名の十念寺にお墓があります。
句については先日書いたので、ここでは割愛しますね。
六首目は
角谷重成
色ふかく咲にし軒の梅の花 あかね匂ひに鶯のなく
人物の解説には、「桑名藩士・角谷糺 八十石 弁天台場で降伏」と書かれます。
弘化2年生まれで父の御馬廻役(80石)を継いで、御小姓役となりました。
上記の森さんと同じく、仙台で新選組に加入。
降伏人名簿には「当時指図役頭取」と書かれています。
和歌を読んだ時「梅の花」と「鶯」に、つい歳様を思い浮かべてしまった。。。
いや、別に特殊なことではないですよ。
梅に鶯、というくらいなんですから。
ただやっぱり「条件反射」というか
「梅」というと彼を思い出してしまうし
「鶯」といえば、ほらあるじゃないですか。
うぐいすや はたきの音も つひやめる
という可愛らしい句が
それに、やや?有名な
春の草 五色までは 覚えけり
の「草」が、「鶯」なのではないか?みたいな解釈も。
つまり「春の七草のうち五つまではわかったなぁ」ではなくて
七色といわれる鶯の鳴き声が、まだ早春で五色くらいまでしか出せてない。もうすぐ上手に鳴けるようになるかなぁ。
みたいな感じ
かなり情緒的かつ繊細な解釈ですね。
まぁ私は素直に「春の七草」だと思っているのですが。。。
くずし字は難しい
と脱線してしまったところで、続きはまた。
令和2年神天正月(てんしょうづき)15日 汐海 珠里