150年前の本日は慶応2年7月27日。
この日、一橋慶喜さんは、
ひとまず? 徳川家の相続を受諾いたしました。
不肖の私、不在寄右様の蒙台候段、偏に恐悚の至り… 以下略
一橋中納言
(七年史)
この日も春嶽さんは、慶喜さんのもとを訪れたのですが
すでに容保さま、所司代の定敬さん、板倉さんらがいらっしゃっておりました。
で、板倉さんに訊いたところ
24日から今日までずっと詰めているんだけど、
「昨二至り少さか解けたる様存せられ」
てきたみたいなんだよね、という感じ。
だから、
「今一際骨折候ハゝ、多分御承諾あるへきかと考居候」
もうあと一押しして下さいよぉ、というところでしょうか。
それを聞いた春嶽さん、
慶喜公はもう承諾するのは間違いないさ、保証するよ
と、言ったあと
「しかし、彼卿ハ諺にいふ子(ネ)ジアゲ之酒呑にて、充分子ジアゲられし上、御請になるなり」
(続再夢紀事より)
はぁ… 「ねじあげの酒飲み」(笑)
これは
人から勧められると、もう結構と言いつつ、
何度も勧められるのを内心は喜びつつ、飲むタイプ
というような事でしょうか。
悪意で見れば、
俺は嫌だ嫌だと言ったのに、
皆で是非にっていうから引き受けただけなんだからね。
責任は、無理に押し付けたやつらにあるんじゃないの
という事。
(すみません、個人的感情です)
善意で見れば
すんなりと将軍職に就いてしまうのでは
きっと今までと同じ結果になってしまう。
改革をすすめる為にも、皆からどうしてもやってくれ
と懇願されて将軍になった方が、すんなりとできる。
今の幕府はこのままじゃダメなんだ
と、真摯に今後の政局を見据え、冷静な判断の元…
とも捉えれますが
皆さまのご意見はどちらでしょうか
もっとも、単に酒癖が悪い事を
それとなく皮肉ったー という解釈もあるようです。
そういえば元治元年に、
横浜港鎖港の是非に関する話の時
酔っぱらった慶喜さんは「鎖港」を依怙地に主張。
春嶽さんら3人の参預に
「お前らは、天下の大愚物、大奸物だ 」
とまで罵ってしまい
結局は、参預会議を解体させちゃう
という事もやっていますからね…
確かに酒癖が悪い、とも言えるかも
でもちょうど、天狗党の問題があった時でした。
天狗党との絡みもあったので、
一概には「酔ったうえでの暴言」とは
言えないような気もします。
計算済みの行動とか
(その時の記事は こちら☆ )
まぁそれはともかく、
一応徳川家の相続は了承(将軍は拒否)し、
翌日、家茂さまのお名前 にて
徳川家を一橋慶喜に相続させ、再征処理を委任すること
を、朝廷に請うことになります。
一方対長州戦では、まだ幕府側に戦う意思?はあるようですが
薩摩藩は、再度きっぱりと出兵拒絶しております。
長防御征伐二付出兵御断之書面、従主人差出置候処… 以下略
(島津久光公実紀より)
そんな中、容保さまがある御決意を
続きは明日
2016年詠月(えいげつ)5日 汐海 珠里