昨夜の続きです。


先を急いで行ったのは…

諏方神社


永仁2年(1294年)、蘆名氏が創建したそうです。

信州の諏訪大社からご神体をお迎えいましたが、総本社と同じ名称では失礼にあたるとして、「諏方」にしたのだそうです。

また、幕府は「江戸、会津、伊勢、三島、南都など」に、「暦を発行する権利」を与えていたのですが、

その「会津暦」を作成していたのが、ここなんですって ニコニコ


実はここ、福島在住のブロガーCさんに教えて頂いた場所 音譜

戊辰戦争時の弾痕がある、との情報です。


思わず「天保」の文字に見入ってしまった ビックリマーク


あのね、このブログを書く為に、はじめの写真を編集しようとして。。。 叫び

まん真ん中に、赤いポツッとした丸いのが写っていたんです。

アップにしてみると…

お判りになりますか? あれ、何でしょう?

他の写真には、何も写ってはおりません。

太陽とか、カメラの光でもないようです。

本堂の中には灯りどころか、誰もいなかったし… あせる

Cさんが「雰囲気あるよぉ音譜」と教えて下さったのですが

雰囲気あり過ぎ はてなマーク


ホントに誰もいないし夕方薄暗くなってきたので、

急いで本殿にお参りしてから、二の鳥居まで引き返しました。

ところがっ !!

何故か「弾痕」が見つからない 汗

「どの辺なのぉ?」

と、ツレの声が少々トンガッテきております あせる

スマホで情報検索しようとするのですが、何しろ焦っております。

「。。。 ガーン

かろうじて「これかなぁ…」と思ったのが、これ。

なんとなく、ちょっと背中がぞわりとして参りましたので、

鳥居に手を触れて黙禱してから、次の場所へと移動することにしました あし


次に向かった先は、「長命寺

なのですが…

歩き疲れからなのかどうか、私の足があまりいう事をきいてくれなくなっております あせる

もう、トボトボと、ツレの後を追うのですが、その距離が離れるばかり 汗

わりと平坦な道はいくらでも歩ける方なのですけれど、いったいどうしたのでしょう ガーン


時々立ち止まって私を待つツレ。

「もうさ… 今日はいいことにしようよ…」

という言葉が何度か喉元まで出ているのですが

付き合ってくれているツレに、それを言うのも憚られます… ショック!


そして、やっと。。。



長命寺


京都本願寺第12世教如上人によって江戸初期に建てられました。

保科正之公の時に、現在の場所へと移されたそうです。


戊辰戦争時、鶴ヶ城に籠城したのが、慶応4年8月24日。

そして5日後の29日。

「鬼の官兵衛」こと「佐川官兵衛」が、城内の精鋭部隊千人を率いて

新政府軍の一角を崩し、活路を求める為に打って出ました。

(外部接触や、糧道確保の為)

その時に大垣藩と戦いになったのが、ここ「長命寺」です。



戊辰戦役 会津藩士戦死者之墓


戦後、埋葬の許可が下りずに放置された会津藩士たちの遺体。

これを見かねた当時のご住職さんが、密かに埋葬なさったそうです。

その数は145体と言われています。

墓碑は明治11年4月になって、旧会津藩士75名の有志によって建立されましたが

碑面には「戦死墓」の三文字以外の表示が許されなかったのだそうです。


今も、この文章を綴っていて、涙が溢れてきています。

さぞや無念であったことでしょう。

お線香を手向け、丁寧に丁寧に、お参りいたしました。

こんなに暗くなってからで、ごめんなさいと、謝りながら…



長命寺の築地塀


ツレが、中に入る前に撮ってくれたので、かろうじて明るかったですかね。

五條の白線は、最高の寺格を示しております。

無数の数の弾痕がありました。

ここで激しい銃撃戦があったのだと、なんとも言えない気持ちになりました。

(なお、帰宅後に調べたましたところ、塀自体は近年立て替えられていて弾痕は忠実に復元したものだそうです)


ひとまず、一日目の予定は終了。

だいぶ暗くなってきて、お腹も空いてきました あせる


口数が少なくなってゆく私に、

「昼間のバーガー屋さんに行くんでしょ?」

とツレ。

「うん。場所がわかるかなぁ…。 それに、新撰組バーガー残っているかなぁ。数量限定だったもん」

と、声が小さくなる私。

でも気の所為か、少し足取りが軽くなっております。

何でだ?


そして路地をひょいっと出た所に

「あ、ここだ ラブラブ

なんと行きたかったお店のすぐ横に出たのです チョキ

しかも閉店20分前というのに、快く迎えて下さいました 合格

「新撰組バーガー」もあった ラブラブ!


ラッキースマイル

左上・店内 右上・ディナーセット(スープ、サラダ)

左下・白虎隊ドッグ 右下・新撰組バーガー


すみません!

当日に新撰組バーガーの写真をアップしていたので、今回はかじりかけ にひひ

(当日アップの記事はこちら ☆

上のはナスです。下の赤いのがトマト。串刺しにしている串はプリッツ 合格

え? ツレはホットドックだけで足りたのかって?

いえいえ、ご飯ものが食べたかったようで、ホテルに行く前にコンビニでおにぎりを買っておりました にひひ

「なんで新撰組バーガーなんだろうねぇ」

と言いつつ、ただちに完食 !!

「時間が遅くてすみません」

と謝りつつ会計をする際、訊いてみました。

「どうして新撰組なんですか?」

奥で片付けものをしていたお兄さんが出てきて

「新鮮野菜を使っているから」

あ… 汗

まぁ、美味しかったからいいか にひひ

(軽いショックさ故、ツレの頼んだホットドックが、何故白虎隊なのか、訊きそびれた!)


そして再び、一ちゃんのお墓参りに行ってから七日町の駅へ。



ほとんど人がいない駅でした。

月が、本当に綺麗でした 三日月



「会津若松」の駅に着きました 音譜

一駅だけど (笑) 


コンビニに寄って、その夜は駅近くのビジネスホテルです。


やっとほっとひと息ついて…

ツレがお風呂に入っている間に、携帯でカシャカシャ探索。

「うわぁ、諏方神社の弾痕ってここだよ!」

画像がありました。

どうやら私たちが見たところとは、別にもあるようです。

がっかりしている私に

「明日の朝、予定より頑張って少し早めに出て、車で行ってみよう」

とツレ。

翌日は朝からレンタカーを借りる予定でしたので、寄り道してくれるとの事。

「うん」

そして皆様からのコメントを読んでいて…

あぁあ~ しまったぁ !!

「ど、どうした?」

すでに、お酒を飲み始めたツレがびっくりして訊き返しました。

「あ、秋月さんのお墓参りに行くのを忘れた… ガーン

そうなんです。

あんなに歩いて、やっとやっとたどり着いた「興徳寺」

私の一番の目的は、秋月登之助さんのお墓参りだったのです!


秋月さんは、歳様とご一緒に宇都宮の戦いに参戦し、怪我をして会津に戻ってらした方。

歳様が、愛刀・大和守源秀国を贈ったといわれる方です。

(その刀は、日野の「新選組のふるさと歴史館」で今年見てきました。

その時の記事は こちら☽ 秋月さんの事も書いてあります)


「明日か、明後日、時間を見付けてもう一回行ってこようよ」

「うん… ダウン

「車だったら早いからさ。すぐだよ」

「う、うん… ダウン


あの。。。

だったら、場所を抜かしたと気づいた時点で引き返さなくとも

はじめから車で行けば、あんなに歩かなくても良かったのに…

と思ったことは、ナイショにしておこう あせる


とってもとっても、泣いて、歩いた、会津の一日目でした。


まだまだ続きますが…

明日はちょっぴり幕末へ飛びます 自転車

お付き合いの程、宜しくお願いいたします m(_ _ )m


   2014年霜月3日  汐海 珠里