150年前の本日。元治元年6月8日でございます。

天気は 晴れ

池田屋事件から3日が過ぎましたが、以前混乱の中であったようです。

長州人が屯所に斬り込むとの噂も流れ、警備を厳重にしました。

島田さんによると、表門に木砲二門・裏門には一門備えたみたいですよ 爆弾

また勇さんが死亡しただの、左之さんが重傷あるいは死亡しただのの噂も… 叫び

五条橋には一橋慶喜さんや幕府に対する批判・中傷文も…

 

そんな中で、新選組は押収品の数々を会津藩に引き渡しております

勇さんがこの日に書いた書状によると、

 

 1 具足(靴) 11両(組)

 1 槍 25筋(本)
 1 木砲 10貫目(約37.5kg)ほどのもの 5挺
 1 短筒(拳銃) 3挺
 1 火薬 大筒1本分
 1 尖矢 500筋(本)
 1 重藤弓 11張
 その他に鎖帷子、長刀、武器類など長持(箱)5つ分

 

です チョキ

これらは、地車に積んで、大混雑の中を、壬生かたら黒谷の会津本陣まで運んだようです 汗

 

また、どういういきさつからかは不明ですが、京都所司代に引き渡したものもあります。

それが、本山一郎、すなわち土佐の北添佶摩宅からの押収品なのです。

北添さんは、池田屋内で亡くなったとの説とともに、当夜新選組が「ご用改め」をして踏み込んだ家から逃走し、その途中で斬り殺された、との説もあります。

この押収品の中には、前年に蝦夷へ調査へ行った時に使用したと思われる「日本地理之書」や「孫子詳解」、また「詩歌」の本もあったとか。

それと、「なくさみ本」。。。

なんとなく、少し哀しくなりますね ダウン

 

 

「勇さん、いいか?」

「歳か。入れよ」

ようやく慌ただしい暑い一日を終えて、さっぱりと入浴してきた歳三が、局長部屋に入ってきた。

「おお。こんな時でも、良い男だな」

勇が破顔する。

「書状か? あいかわらずマメだなぁ」

勇の言葉を軽く無視して、文机の上に広げられた書状を眺める。

「そりゃあな。きっと江戸には色々な噂が入っていくことだろうから、安心していただかねばならんからな」

「勇さんが討死した、とかか?」

「ああ。義父上に腰でも抜かされては一大事だからな」

歳三がチラリと見る。

「まぁ、全部を正直に書くわけではないさ。総司の昏倒などは、要らぬ心配をかけるだけだ」

「ああ」

「養子にした周平のことも報告せねばなぁ」

「少しは役にたったと、吹聴しとけばいいさ」

勇が大きく目を見開いた。

「何だよ?」

「いや、歳からそんな言葉が出るなぞ、思わなかったからな」

ふっと、自嘲気味に笑う。

「何かあったのか?」

勇が心配そうな声を出す。

「いや… そういうわけではないが、今日、所司代に引き渡した北添の所持品を見てな」

「ああ」

「俺達は何をしたんだろうかって、さ」

「歳…」

「蝦夷の地図などが入った長持ちには、海上安全の札が貼ってあった。蝦夷地の開拓など、俺らの考えも思いつかないくらいの事を考えていたのかと思うとなぁ…」

「……」

「いや、悪ぃ。愚痴りにきたわけじゃねぇんだ」

勇がふっと笑う。

「いいさ。たまには愚痴れよ。総司のように上手くお前の相手は出来んがな。聞くくらいはできるぞ」

歳三が破顔した。

「それよりどうするんだよ。幕府が近藤勇を与力上席で迎えようってんだぜ? 受けるのか?」

「いや…」

「何故?」

「何故だろうなぁ。今、それを素直に受ける気にはなれんのだ」

「そうか」

 

その夜、勇が書いた書状には

 「打取七人、手負二人、召捕二十三人、右者局中の手の働きに御座候」

 「前代未曾有之珍事御座候」

 「新撰組ニおゐてハ、深手藤堂平助、薄手永倉新八郎、外ニ手疵を受候者無之」

 「打入候ハ拙者、沖田、永倉、藤堂、下拙養息周平今年十五歳」

と書かれている。

また、身分取り立てのことについて

 「此段可各様御一統の御賢考御返書奉待候

と、意見を求め、

勝手に養子縁組をしたことについては

 「当節柄死生も難計奉存候間、右等心得致候

と、認めた。

 

   2014年文月11日  汐海 珠里

 

☆五条橋の張り紙は、「甲子雑録」より

☆近藤勇書簡は、複数の史料に転記されている。
また「同方会誌」には島崎某に送ったとされる池田屋事件のもようが書かれた書簡内容が書かれる。(参照→
☆養子周平に関して近藤は15歳と記す。この書状は6/19に多摩へ届いている。が、7/3に「 道助日野宿へ行 暮六ツ帰宅 供熊二郎  京師の模様多々 珍節沢山御座候  近藤は養女迄致し候 十三歳位の趣也(梧山堂雑書)」と、近藤が養女を貰ったとの情報が入っている。さらに「勇先生有養女 気豪常佩刀 愛変於沖田総司之勇 請為妻把箕箒 総司固辞 女自愧 以刀刺喉 而不殊 得復生 後嫁人云  (慎斎私言)」のエピソードもあり。