岡倉天心の茶の本を読みました。

岡倉天心自体、明治の美術評論家というより、日本美術の海外への浸透に貢献して、

東京芸大の前身の東京美術学校の校長を務めた人なので、日本や東洋の芸術に造詣が深い方です。

 

茶道の精神性について、天心は、

茶人たちは、「芸術は、それを自身の生き方に反映させる人によってのみ、理解できるものだ」と考えてきました。

だから彼らは、日々の生活を「優雅さを感じられるもの」にしようと、高い水準で自己を律してきたのです。その中には、茶室を使うことも含まれていました。

優雅さを感じるためには、どんな状況に陥ったとしても、心は穏やかな状態を保たねばなりません。会話はどんな場合でも、周りの人との調和を乱さないように行なわれねばなりません。

衣服の着こなしや色選びから、身のこなしゃ、歩き方、すべてが芸術的な一人の人間を表現するものでなければならなかったのです。

こうした考え方を、決して軽く無視することはできません。

というのも、茶人たちは自分が一つの美的な存在となれるまで、美に近づく権利はないと考えていたのです。だから彼らは芸術家以上のもの、芸術そのものになろうと努めました。

それこそが「審美主義の禅」だったのです。

と書いてます。

 

いや、茶を極めたりですね。

元々、唐の団茶から宋の時代に抹茶になり、禅宗がそこで作法を入れたのが

今の茶碗を回し飲むことだったそうです。

それを日本の禅宗の栄西が茶の種と一緒に持ち帰ったのが、1192年ということで

そこから室町時代にかけて茶道が完成したということです。

当の中国といえば、その後、元の時代となり、宋の文化が破壊尽くされて

明の時代に抹茶文化を再興しようとしても資料がなく復活できずに、

明の時代は煎茶となったということです。

いや、凄い話ですね。

そういえば、中国の人が歴史を遡ろうとして古い寺院を見ようとしたところ

結局は、日本で見るしかなかったという話を思い浮かべてしまいます。