僕の小学校の卒業文集に記載されている将来の夢

それは、「野球選手」

 

幼稚園の時の父とのキャッチボールから始まった

父は勤務先の裁判所の野球部の監督だった

 

小学校に入り、学校から帰ると毎日のように

家の外のブロック塀にボールをぶつけて壁キャッチボール

 

小学校4年生からは、土曜日に行われるクラブ活動で野球クラブに入部

そして学校から帰るとほぼ毎日、日が暮れるまで

家の近所の「なかよし広場」で友達と草ソフトボール

 

小学校6年生の時、野球クラブでレギュラーとなり

守備はセンターで打順は一番打者だった

僕は足が速かったので、塁に出ると必ず盗塁のサインが出た

監督は長谷川先生

一塁ランナーの僕の方に向けて

先生が持っているバットの先端でトントンと地面を叩くのが盗塁のサインだった

サインが出ると嬉しかったな、、、

多分、アウトになったことは、ない

 

中学に入り、1、2年はブラスバンド部に所属したが

3年生になり学校が統廃合となって

新設校に通うことになって、どうしてもやりたかった野球部に入部した

後から入部した僕としては、負けてたまるかと、必死になって練習したな、、、

守備はライト、打順は七番か八番ではあったが、なんとかレギュラーにもなった

最後の大会では、市の予選を勝ち抜き、県大会へ

1回戦は船橋の高根中学校

2アウト満塁、絶好のチャンスで回ってきた僕の打席では、見事に三振、、、

結局1回戦で敗戦となった時は

こんなに涙が出るのかと自分でもびっくりするくらい泣きじゃくった

青春だったなぁ

 

初めての後楽園球場観戦は、小学校5年生の時

読売巨人軍対中日ドラゴンズ

 

高校卒業後、東京に出ると、よく後楽園球場のライトスタンドに通った

 

最後に東京ドームに観戦に行ったのは2019年のシーズンだった、、、

 

今も野球の話を綴っていたら、いろんな思い出がどんどんと蘇って

まぶたにその時々の映像が流れる

 

やっぱり野球が大好きなんだ

 

「野球選手」にはなれなかった

でも

「野球選手」は僕の永遠の夢だ

 

WBC 侍ジャパン 優勝!

感動と歓喜をありがとうございます!

 

僕の永遠の夢を叶えてくれて本当にありがとうございます

 

これからも、いつまでも、どこまでも

野球少年の夢は永遠です

 

 

ちなみに 武士JAPAN(サムライジャパン)の呼び名は

僕の方が先なのdesuおねがい

RYUGEN Toshl

 

 

そして、決めたよ!

3月31日(金)20時〜

龍玄としのニコ生@秘密の花園

春爛漫年度末総決算SP!

 

「春爛漫!妖艶に狂い咲く夜!?一緒に楽しく燃えあがろうゼ!龍玄とし」