●ほどほどという幸せ
最近、幸せになる為に!
幸せにならなければ!
と、気を張り幸せ探しをしている人を見ます。
気を張りすぎず
気を緩めすぎず
● 世尊の弟子シュローナは富豪の家に生まれ、生まれつき体が弱かったのですが、世尊にめぐり会い、その弟子となってからは、それは足の裏から血を出すほど痛々しい努力を続け、道を修めていました。
しかし、そのように頑張り努力をしても、なお悟りを得ることができなかったのです。
世尊は、そんなシュローナを哀れんで言われました。
『シュローナよ、おまえは家にいたとき、琴を学んだことがあるであろう。
糸は張ること急であっても、また緩くても、良い音は出ない。
緩急よろしきを得て、はじめてよい音を出すものである。
悟りを得る道もこれと同じく、怠れば道を得られず、またあまり張りつめて努力しても、決して道は得られない。
だから、人はその努力についても、よくその程度を考えなければならない』
この教えを受けて、シュローナはよく会得し、やがてさとりを得ることができたといいます。
私たちは、時に何かと比べて気を張り頑張りすぎたり
出来ないことを見つけて、自分を責めたりしやすいもの
そして、瞑想もまた同じことがいえるのでしょう
上手くいかないからと頑張って集中しようとしたり
自分には無駄だと諦めたりするより
1分の呼吸をみつめることのように、小さな出来ることを見つけ、繰り返すことのほうが、どれほど大切か。
張り詰めるより、少しだけ緩める心を大事にしたいものです。
心の旅人 ひらか